お金さえ十分にあれば幸せになると考えている人の多くは、お金を得ることだけを考えている。
その結果だけを見て、手段は考えていない。
ただ、お金が欲しいのである。
意識的な満足さえあれば幸せになると考えている人の多くは、宗教や神という存在に頼る。
宗教や神という存在を信じてさえいれば救われると本気で信じていて、その結果しか見ていない。
だから、宗教や神という存在の名前を使って人道に反したことも行え、また何も行わなかったりする。
それは結果だけを見て、その手段のことを考えてはいないのである。
ただ、意識的な救いが欲しいのである。
極端な考え方は、人生を歪めてしまう。
二十歳までのわたしは物質的なもの(
お金や品物)だけを見て生きてきた。
その結果は散々なもので、自己が満たされているという感覚を得ることは遂になかったのである。
わたしはそのアンバランスを正さなければならないのである。
物質的な充実だけでは不足している。
意識的な充実だけでも不足しているのだ。
お金を得るのであれば、どのような仕事をした結果それを得るのか?
心の充足を得るのであれば、どのような信仰によってそれを得るのか?
結果だけを見ずに理念や手段にまで考えが及ぶのであれば、本当の意味での満足が得られるであろう。
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