瞑想をすることによって心の中に存在している汚れが取り除かれ、その結果として心が穏やかになり、身体が軽くなるのだから、それは良いことであると思える。
わたしは良い発見をしたと喜んだ。
それは、自分自身が心の汚れや歪みによって苦しんでいて、それを解消する可能性が見えたからである。
自らの心の中に存在している汚れやその歪みを解消すればどのようなことが起こるのであろうか?
わたしはそのように考えていた。
わたしが苦しみから抜け出すためには、今のわたしができることの中ではそれが最善の方法であるような気がしていた。
わたしは自らの心を治さなければならないのである。
それは、医者に見せても、薬を飲んでも治らないものである。
それは、心が汚れているのは病気ではないからである。
鬱病(うつびょう)という状態があるが、それは心が汚れて歪んでいる状態であると思っている。
心が汚れて歪むことによって、建設的な思考や感情を形成することができないのである。
わたしも自らの人生を考える中で、大きな虚無感に襲われたことが何度もある。
その度に、わたしはそれに飲み込まれまいと必死であったが、心が汚れを知らずに歪んでいなければ、鬱状態に落ち込むことはないであろう。
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