このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2013年5月31日金曜日

追憶 465

人は誰しも、自力で立ち、自力で歩み、自力で成し、自力で責任を果たさなければならないのである。
人の中にあっても、最終的に人は独りなのである。
自分自身を除いて、人生には何も存在しないと気が付く。
自力が備わっていなければ、人は何も成し得ないのである。
人は自らを鍛えなければならない。
どのような人物であろうとも、常に成長することが求められる。
人格の高まりや意識の向上は、とても大切なことなのである。
それらを成さなければ、人は人生を楽しむことは叶わない。
人は常に目的や目標を掲げて生きることが良いのである。
それは、目的や目標を持つことによって人生という道に迷うことがないからである。

2013年5月30日木曜日

追憶 464

未熟なわたしは、できないことの方が断然に多い。
できることなどほとんど無い。
しかしながら、少しずつでもできることは増やしていけるはずである。
それを自力によって成さなければ気持ちの良いものではない。
わたしは生意気な人間であるが、それは自立心の現れなのである。
わたしの経験上、わたしを救うのは「わたし」以外には存在しない。
自分自身が自分自身を救うのである。
誰かが自分自身を救うことなど有り得ない。
親であっても、兄弟であってもである。
悪さをしてはわたしの代わりに親は謝罪をしたが、わたしが悪さをしなければ、親が謝罪をする必要もないのである。
親が謝罪を肩代わりしたとしても、わたしの罪と罰が消える訳ではない。
わたしが謝罪しても同じである。
罪を償う以外では、それは実現しない。

2013年5月29日水曜日

追憶 463

わたしは幼い頃から、人に頼るのが苦手な子どもであった。
人に自分のことで手を煩わすのが好きではなかったのである。
わたしは一丁前に独立心が強く、自分自身のことは自分でしたかった。
自分でできないことは頼らざるを得なかったが、それも渋々だった。
自分の中では、頼るのが相手に悪いと思う遠慮がどこか抜けないのである。
それは、物心ついた頃から現在に至るまで変わってはいない。
自分自身ができないこと、責任が負えないことはやらない。
それが良いか悪いのかは分からないが、どうしてもそのように考えてしまうのである。
もちろん、その判断が間違っていて、人に迷惑を掛けることは多々あったが、考え方の基本としてはそのようなものであったのだ。

2013年5月28日火曜日

追憶 462

そんなことを思い出しながら、ゆっくりと細い山道を下った。
二人と別れて、帰宅後わたしは柔らかな布団の敷いてあるベッドに横たわり、人の幸せを感じながらいつの間にかに眠りに就いた。

力というものは、人の心から導き出される。
力は内側から引き出すことができる。
人の力は、内側から引き出す以外に方法が無いとも言える。
人は自分自身なのである。
そのことを忘れてしまえば、必要な力を得ることはできない。
道を極めるためには己に頼り、己を磨くことが重要なのである。

2013年5月27日月曜日

追憶 461

彼女は何を見たのであろうか?
彼女はとても素直で、普段から言わなくても良いことも言うような表裏のない性格だった。
素直過ぎて、隠せないようなところがあったのだ。
そのため、彼女の話は見間違いや妄想などではないと思う。
わたしが直接それを見た訳ではないので、見解が推測を抜け出ることはないが、彼女が見たものは「神様」であったに違いないであろう。
自然の中に存在している神が、ミーティングでもしていたのだろう。
わたしの所にも、ハクとコンという狐の神がいる。
彼女の見た狐と狸も納得することができるのである。
わたしが所謂(いわゆる)、「見えない人」であっても否定はしないだろうが、今のわたしには彼女の話を理解し、納得することができる。
当時のわたしは、彼女の話が素敵だなぁと思っていた。

2013年5月26日日曜日

追憶 460

きっとそれはお酒であろう。
子どもながらにそう思った。
小さなおちょこのようなもので互いに飲み交わしている。
二匹はとても楽しそうに見えた。
笑い声が聞こえてくるかのようである。
その不思議な光景を見ていると、彼女は自分が独りでいることを思い出して少し怖くなってきたのと、このことをお母さんに伝えなければならないという思いが浮かんできた。
彼女は後ろ髪を引かれる思いで自宅に走った。
しばらくして、母親を連れて来たが、そこには既に狐と狸の姿はなかった。
もちろん、社も跡形も無く消えていた。
彼女の中には更なる不思議が生まれた。
それは一度だけのことで、それからは見ていないということだった。

2013年5月25日土曜日

追憶 459

二つの影は、ふすまに映し出されていた。
それらは、背後から蝋燭(ろうそく)の火に炙(あぶ)られるようにして、その輪郭を微かに揺らしていた。
彼女はその不思議な光景から目が離せなかった。
影を観察していると、それが動物の形をしていることに気が付いた。
二匹の動物が向かい合っている。
彼女はそれが狐と狸(たぬき)だと直感的に思った。
狐と狸が向かい合って座っているのを更に観察をしていると、互いが交互にお辞儀を始めた。
一方が頭を下げて上げると、もう一方が同じように頭を下げて上げる。
これを繰り返す。
そのうち、何かの飲み物を持ち出して互いにお酌を始めた。

2013年5月24日金曜日

追憶 458

それは家と呼ぶには小さく、彼女の常識とは違った形をしていた。
それは小さな社であった。
しかしながら、ここに普段は社など建っていない。
彼女が生まれてから、一度もこんなものは見たことがなかった。
学校に行っている時間の内にそれが建ったとも考えられない。
何より、その痕跡がないのである。
そんなことは子どもでも容易に想像することができた。
彼女には怖いという気持ちはなく、新しい発見をしたことに高揚していた。
童心をくすぐる不思議さがそこにはあった。
その小さな胸にワクワクする気持ちを抱えながらその場で社の襖から漏れる明かりを眺めていると、ふとあることに気が付いた。
それは、襖の奥にある二つの影の存在であった。

2013年5月23日木曜日

追憶 457

県道から脇道に入り、坂を登り始めた。
イワナの養殖場を越え、民家を抜けると小さな林があって、自宅に辿り着く。
彼女は何気なく林に目をやった。
何となく気になったのだ。
すると、そこにはいつもとは違う光景があることに気が付いた。
林の中は木々が立ち込めていて周りよりも一層暗かった。
その暗がりの中にオレンジ色の光が見えたのである。
彼女は子どもながらにそれに疑問を抱いた。

「何の光だろう?」

彼女が注意すると、それが襖(ふすま)から漏れる明かりであると理解した。

「こんな所に家があったかな?」

彼女は不思議に思った。

2013年5月22日水曜日

追憶 456

夕暮れが迫る家路を一人で急いでいた。
学校から自宅までは500mくらいの距離で、開けた田んぼ道と県道を通る道のりである。
県道には住居が並び、子どもが一人で帰るのにも何の問題もない。
もちろん、近所はすべて顔見知りである。
彼女の自宅は、県道を横断する小さな川に並行するように作られた脇道を登り切ったところにある。
脇道には何件かの住居が並び、狭い土地を有効的に利用している様子が伺(うかが)えた。
途中には小さなイワナの養殖場があったり、彼女の自宅では山?か川から直接引いたパイプから、飲料に使うことのできる真水が手に入る。
わたしもその水を飲んだが、柔らかくとても美味しい水だった。
それほど水は綺麗で、自然豊かな場所なのである。

2013年5月21日火曜日

追憶 455

人は皆、夜空を明るく染める花畑に興じている。
わたしたちは人のいない真っ暗な帰り道を歩いた。
しばらく歩くと花火の音も止み、祭りが終わりを告げたことを知った。
わたしたちは話しながら帰っていたが、もう少し話したかったので、帰路を逸れて歩くことにした。
その時の彼女の話はとても印象的だった。
彼女はそれが何だったのか?幻を見たのか?ただの見間違いなのか?真実は分からないと前置きをした上で思い出したように唐突に話を始めた。

それは、彼女が小学生の頃の話である。
確か、低学年の頃の話だったと記憶している。

2013年5月20日月曜日

追憶 454

それは、地元の夏祭りの日だった。
わたしは彼女と二人で夏祭りに出向いていた。
夏祭りは多くの人で賑(にぎ)わっていたが、わたしはこの人混みが好きではなかった。
暑苦しく、面倒臭かった。
自ら祭りに出向いていながら身勝手なものである。
わたしは矛盾する意思を慰めながら、夏の夜をそれなりに楽しんだ。
花火が盛大に打ち上がると寂しくなる。
夏の夜の賑わいが弾けて終わることを実感させられるからだ。
わたしは花火が終わる前に彼女の手を引いて祭りを抜け出した。

2013年5月19日日曜日

追憶 453

それは、中学、高校の同級生の実家であった。
少しだけだが、交際をしたことのある相手である。
彼女は独特の世界観を持っており、わたしはそこに惹かれたのかもしれない。
彼女の実家は山の麓(ふもと)にあるため、道からは直接見ることはできないが、そこに続く脇道を見れば普段はしまってある記憶が勝手に思い出されるのである。
車窓の景色に彼女との思い出が浮かぶ。
そんな中でも、わたしにとっては一番印象的だった話があった。

2013年5月18日土曜日

追憶 452

帰路は複雑な気持ちが入り混じったものであった。
住み慣れた我が家に帰る安堵感と、まだキャンプ場にいたいと思う名残惜しさが葛藤していた。
トンネルの様になって空を覆う木々が太陽を細かく切り刻んで、アスファルトに宝石を散りばめたように輝いていた。
それは、日常と非日常を繋ぐ不思議な道のように感じられるのである。
わたしは心のどこかで寂しさを感じていた。

途中、小さな集落がある。
青々と茂る田と山に溶け込むように民家が並んでいる。
その一つに思いで深い家があった。

2013年5月17日金曜日

追憶 451

二人の反応はわたしが予測していたものとは程遠いものであった。
わたしは二人がもっと驚いたり、怖がったりするものだと思っていたのである。
二人にはドラム缶の裏の女の顔が、それに見えなかったのだろうか?
考えても分かるものでもないので、それ以上考えるのをやめにした。
わたしは二人の反応が面白くなかったので、この話を早々に切り上げて川原に戻ることにした。
川原に戻る途中で誰かに見られているような感覚があったが、わたしはそれを口外することはなかった。
何となく、それが面倒だったのである。
それから、しばらく休んだ後にわたしたちは荷物をまとめて帰ることに決めた。

2013年5月16日木曜日

追憶 450

しばらくするとKが来て、同じように歯磨きを始めた。
わたしとHは談笑しながらKが歯磨きを終えるのを待った。

「身体痛てぇ〜」

などとHが言うので、「そりゃそうだろ」などと思っていた。
Kが歯磨きを終えたので、わたしたちは荷物を置いてある場所に戻ることにした。

「そう言えば、ドラム缶片付けたの?」

Kが聞く。

「今朝、暇だったから片付けたよ。あっ、それと…」

Kがドラム缶の話をした流れで、わたしはドラム缶の裏側に現れた女の顔の話をし、二人をドラム缶まで案内してそれを見せた。
二人は言葉を失っている。
わたしたちは会話も少なく、その場を立ち去った。

2013年5月15日水曜日

追憶 449

歯を磨きながら、わたしは自らの欲求に葛藤していた。
女の顔がドラム缶に現れているということをHに伝えたい。
Hには昨晩の出来事が見えてはいなかった。
話はしたし、それを疑ってはいないだろうが、ドラム缶を見せることで話にリアリティが増すように思えたのである。
それに加えて、Hが驚く姿も見たかった。
それは単なる遊び心である。
しかしながら、話をするのならKがこの場にいた方が良い。
同じ話を二度もするのは面倒だと感じた。
わたしは水道水で口を濯(ゆす)ぎながら、Kが来るのを楽しみに待っていた。わたしは話す気でいたのである。

2013年5月14日火曜日

追憶 448

しばらくして、Kも起床した。
わたしたちとは違い元気だった。

「トイレ…」

そう言うとKは立ち上がりフラフラと歩き出した。
Kを見送ったわたしとHは、歯を磨くために持参した歯ブラシを持って、ペンションに隣接する休憩所(ベンチと屋根があるだけ)に向かった。
休憩所の横には水道があり、そこで軽い洗い物ができるようになっているのである。
わたしたちは取り留めもない話をしながら歩いた。
流石に疲れていて、口数は少なかった。

休憩所に到着すると、ペンション横の荷物置き場にドラム缶のかまどが立て掛けてある光景が視界に入る。
わたしは女の顔のことを話して良いものかと思案した。


2013年5月13日月曜日

追憶 447

ジュースが喉を通り、わたしに一時の安心感を与えていた時、Hが重たそうな瞼(まぶた)と身体を引き摺りながら起床した。

「眠れたか?」

わたしが聞くと、Hは少し驚いたような仕草を見せた。

「え…あ…うん。おはよう」

Hは寝ぼけていた。
しんどそうに上半身を起こして座る。

「え…今、何時?」

Hが聞く。
わたしは時間を確認するのが面倒だったので、「分からん」とだけ答えた。
目をこすりながら、Hは無言だった。

「ジュース飲む?」

わたしが適当に掴んだジュースを差し出すと「ありがとう」と言って受け取った。
きっと、深くは眠れなかったのだろう。
Hはとても疲れているように見えた。

2013年5月12日日曜日

追憶 446

わたしは自らの欲求を振り払い、ドラム缶に浮かび上がる女の顔に背を向けた。
鳥のさえずりが聞こえる良い朝である。
わたしは伸びをして、目一杯に空気を吸い込むと歩き出した。

KとHが眠っているのは、ペンションからでも確認することができた。
ペンション横の石段を下りながら、女のことを思い出す。

「昨晩はこの辺りに立っていたなぁ…」

辺りを見回すが、そこに女がいたような形跡はない。
当然のことかもしれない。
わたしはKとHのところに戻り、適当な岩に腰を降ろしてジュースに手を伸ばした。

2013年5月11日土曜日

追憶 445

わたしがしなければならないのは真実の追求である。
それは、問題を解決し、価値を導くためである。
それらを実現させるためには、物事を正しく見ること、そして、正しく行うことが求められるであろう。
それ以外の手段を求めては、必要は満たされないのだ。
自らの求めるものを実現させるためには、何に価値を見出し、何をするべきなのか?ということが重要なのである。

2013年5月10日金曜日

追憶 444

写真を撮ることでわたしが得られるのは、自らの満足感である。
わたしはいろんな人に写真を見せ、自慢げに女の話をするだろう。
それはそれで構わないかもしれないが、未熟なわたしにはその話を正しく伝えることができないであろう。
女の苦しみや悔しさ、そして、悲しみを正しく伝えることができるであろうか?
きっと無理である。
女の表面的な部分だけを繋ぎ合わせた、およそ真実とはかけ離れた茶番を演じてしまうだろう。
それは、人々の中に霊に対する誤解をいたずらに広げてしまう結果になる。
霊に対する恐怖心や敵対心を煽(あお)り、更なる争いや苦しみを投じる布石となってしまうのだ。
わたしが求めているもの、そして、やらなければならないことはそんなものではないのである。

2013年5月9日木曜日

追憶 443

今のわたしの実力では女には及ばない。
光の杭があるから、女に手傷を負わせ、遠ざけることはできるが、それ以上のことはできそうもなかった。
わたしにはそれが不本意であった。
女を傷付けたくはなかったし、争いたくもないからである。
そして、女に勝るということは、女を苦しみから救い出してやることだと考えていたからである。
今のわたしは女を苦しみから救い出してやることはできない。
むしろ、事態を悪化させることしかできない。
それを分かっているから、大天使ミカエルはわたしを制止したのである。
これ以上、女との繋がりを持つな。
これ以上、(結果的に)女と争うな。
これ以上、女を傷付けるな。
助けることもできないのに、首を突っ込むな。
(写真を撮ることによって)連れて帰るな。
ということだったのだろう。
もちろん、これはわたしの勝手な推測である。

2013年5月8日水曜日

追憶 442

今のわたしには理解することのできない、何か大きな目的のために動いているように思える。
大天使ミカエルがわたしを止めたのも、わたしには理解することのできない理由があるに違いないのである。
携帯電話をポケットにしまった後も、わたしはその場に立ち尽くしていた。
それは、大天使ミカエルの言葉の意味を自分なりに思考したかったからである。
わたしは自分が写真をとった場合に派生するであろう可能性について考えてみた。

昨晩、女は姿を消した。
しかしながら、その行方は分からない。
光の杭によって怪我を負った女は、わたしのことを憎んでいるに違いないであろう。
元々、あれ程の殺意を持っていた霊であるから、わたしを殺そうとするのも簡単に想像することができた。

2013年5月7日火曜日

追憶 441

わたしが信じるべきは自我ではない。
自我は大切なものに違いなく、それを見失ってはならないが、今のわたしの自我は信じるにはあまりにも未熟なものであるのだ。
わたしが抱えている自我は、今のわたしにとっては信じるに値しないのである。
大天使ミカエルは、わたしよりも遥かに優れた自我の持ち主であろう。
少なからず、感情や利己的な考えで動くことはない。
人は誰もが自分自身を中心とした自我の形成に励むが、大天使ミカエルの自我はそれとは根本的に違っているようである。
自分自身よりも大きな目的があるように伺(うかが)える。
それは志である。

2013年5月6日月曜日

追憶 440

わたしにはその声の主が大天使ミカエルのものであることは分かっていた。
しかしながら、わたしはどうしてもドラム缶に浮かび上がる女の苦悶の顔を写真として残しておきたかったのである。
わたしは欲求に対して葛藤していた。
自分自身の欲求と、大天使ミカエルの意思のどちらを選ぶべきなのであろうか?
自我の強かったわたしは、写真を撮ることが諦められなかった。
わたしが意を決っしてシャッターを押そうとした時、

「…やめなさい」

それはより優しい声だった。
わたしは我に返り、携帯電話をポケットにしまった。
そして、自らの愚かさに恥じ入った。

2013年5月5日日曜日

追憶 439

それは明らかに人の顔であった。
怒りに吊り上がる目と苦痛に歪む口からは、血を流しているようにサビが流れている。
その顔を見た瞬間に、わたしの脳裏には昨夜の女が映し出されるのであった。
女は自らの思いをドラム缶の裏にメッセージとして残したのであろうか?
単なる偶然かもしれないが、ただの偶然にしては模様もタイミングもでき過ぎているように思えてならない。
すべてが図られたことのようである。
わたしは一瞬驚いたが、それはすぐに興奮へと変わった。
ポケットから携帯電話を取り出し、カメラ機能を起動する。
そして、携帯電話の画面がドラム缶に浮かび上がる女の苦悩の表情を映し出した時、わたしは声を聞いた。

「やめなさい…」

それは、優しくも力強い声だった。

2013年5月4日土曜日

追憶 438

ペンションの横にはキャンプ用品を置いてある場所があり、そこには同じ形をしたドラム缶のかまどが幾つも立て掛けてあった。
わたしはそれを発見すると、片付ける場所が分かったことに小さな喜びを感じた。
それは、ドラム缶のかまどが重たかったからである。
立て掛けてあるドラム缶のかまどに並べるようにして、持ってきたかまどを立て掛けた。
その時、わたしは血の気が引いた。
金縛りの様に動けないわたしが見たものは、ドラム缶の裏側一面に現れる人の顔であった。
サビと焦げ跡などが人の顔の様に焼き付いているのである。
わたしはかまどの裏側にある人の顔の様に見える模様から目を離せずにいた。

2013年5月3日金曜日

追憶 437

戻ってはみたものの、やはり二人は眠っていた。
わたしは二人を起こす訳にもいかず、眠たい訳でもないので、この時間をどのように使おうかと思案した。
そこでわたしは、バーベキューの後片付けをしようと思い立った。
二人を起こさないように周囲の清掃をし、荷物をまとめた。
ドラム缶を半分に切断したかまどはキャンプ場のものを勝手に借りてきたらしく、返さなければならない。
冷めた灰をゴミ袋に詰めて、わたしはドラム缶のかまどを施設に返却するために担いだ。
夜に見るのとは違って、ペンションはただ大きいだけの建物である。
それはキャンプ場の管理施設という概念を外れることはなく、不気味さは微塵も感じられなかった。

2013年5月2日木曜日

追憶 436

外は一層と明るくなっていた。
空にも白色が顔を覗かせている。
わたしは辺りに老人の姿を探したが、もう二度と彼を見ることはなかった。
どういう訳か、わたしは心身共に充実しているようであった。
まともに眠っていないにも関わらず、頭は冴えている。
身体も軽いような気がする。
わたしは心地の好い心と身体を跳ねさせて岩を降りた。

「ありがとう…」

わたしは自然とつぶやいていた。
つぶやいた後で、それが老人と周囲の自然に対するものであると理解するのであった。
わたしは何かを思い出した気がして、今も寝ているであろうKとHのところへと駆けた。

2013年5月1日水曜日

追憶 435

岩の上に座っていると、そのような考えが自然と浮かんでくるのである。
それは不思議な感覚であったが、とても心地好かった。
背筋が伸びるようではあるが、リラックスして力は抜けている。
すこぶる気分が良い。
昼間は焼けるように熱せられた岩や空気も夜の露に冷やされ、それがわたしの頬に冷んやりと触れる。
夜の寒さも緩和され、過ごしやすい。
わたしは心地好い環境と心境を以て座っている。
この時間がずっと続けば良いとさえ思った。

それからどのくらい時間が経ったのか分からないが、鳥のさえずりが心地好く届いた。
わたしはまぶたを開く必要があるような気がして、ゆっくりと外の世界を受け入れた。