このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2012年12月31日月曜日

追憶 314

ある日、Kが帰宅して二階にある自室へと向かった。
部屋の扉を開けると知らない老婆がベッドに正座して座っていた。
白い着物を着た老婆を見たKは、握っていたドアノブをゆっくりと戻した。
あり得ない光景に驚いたのだろう。
状況をある程度噛み砕き、それを半ば無理矢理飲み込んで再びドアを開いたが、そこには既に老婆の姿はなかった。
このように「見た」体験や金縛り体験などを簡単に話して聞かせてくれた。
わたしは霊体験をしたことがなかったので、Kから聞いた話が本当かどうかは分からなかったが、当時のわたしは自身の心が高揚していることに気が付いていた。
目に映らないものが見えるというのは、中学生だったわたしの心を非常に強くくすぐったのであった。
Kは「面倒くさいぞ」などと言っていたが、わたしは怖さと好奇心の狭間で揺らいでいた。


2012年12月30日日曜日

追憶 313

思い返してみると、霊の話題に人を通して触れたのは中学校のKとの出会いからだった。
(「追憶」を長く書いてきたが、ここまで書くのを忘れていた…)
それまで、霊感や霊体験というものを実際のものとして話す人には会ったことがなかった。
わたしが幼い頃に周りの大人たちが「悪さをしたら山から鬼が来るぞ!」とわたしを脅していたのが、ある意味で霊?というものとの関わりであった。
そんなものである。
周りには霊体験をしたことのある人もいたとは思うが、それを誰かから聞くことはなかった。
そんなわたしだったからか、Kの話にはある種のカルチャーショックを受けたのである。
Kの話によると、お母さんが所謂「見える人」だったようで、霊感が強かったそうである。

母親が一人台所で夕飯の準備をしていたら玄関が開く音がして誰かが家の中に入ってきた。
母親は子どもの内の誰かが小学校から帰って来たと思い「ただいま、くらい言ったら…」と振り返ったところで絶句した。
そこには畳一条ほどもある大きな男の顔が、台所の入口から左反面を覗かせて浮いていたのである。
声も出せないまま硬直していると、巨大な顔は覗かせている左反面を少しずつ引っ込めながら、奥の部屋に姿を消した。


2012年12月29日土曜日

追憶 312

しかしながら、それが無駄になったとは思ってはいない。
そのような経験があってこその、これからの道なのである。

わたしが意識的な観点や力を使って人や霊の問題を解決し、助けになりたいと思うようになったのは友人からの影響が大きいであろう。
わたしには霊との関わりが強い?男友達が二人いる。
一人は小学校の同級生であったY。
もう一人は、中学校の同級生であったKである。
この二人は霊に対する反応や関わりがある意味対極な立場にあった。
小学校の同級生であったYは、その柔らかな性格や気質がそうさせるのか、霊に対して受け身であり、いつも攻撃を受けては苦しんでいるようなタイプである。
中学に進学してからは、保健室登校気味になっていた。
一方、中学校の同級生であったKは、幼い頃からガキ大将であり、活発で攻撃的な性格である。
彼は霊の存在も認識していたが、特に苦しめられるようなことはなかった。
きっと、自分なりに乗り越えてきたのであろう。
Kは霊と喧嘩するようなタイプである。




2012年12月28日金曜日

追憶 311

わたしは意識的な観点や力によって、苦しんでいる人や霊の問題を解決し、そこに価値を見出し、貢献することを夢として所有した。
これは大雑把な夢ではあるが、何の目標も持たないよりはましであるだろう。
とりあえずの目的地を設定しておけば、進んで行くことはできる。
その過程において、具体的な目的地や新たな目的地というものが派生してくるだろう。
とにかく、大きく、大雑把でも良いので何かの夢を持つことが大切なのである。
夢を持てば意識が変わる。
意識が変われば一日が変わる。
一日が変われば明日が変わる。
明日が変われば一週間が変わる。
一ヶ月、半年、一年…
というように、徐々に状況は好転していくに違いないのである。
何の夢も目的意識もなく過ごせば、人生は詰まらない場所になってしまうのである。
わたしは自分なりの夢や目的意識を持つことで人生がようやくスタートしたような感覚を得た。
今までの20年間は、暗闇を彷徨うような生き方であり、それは土の中で自らの種皮を必死で破ろうとしている種子のようであったと思う。

2012年12月27日木曜日

追憶 310

誰かが手を差し伸べてくれたくらいでは、人の心や人生は変わりはしない。
そんなに簡単なことではない。
それはこの20年間の人生によって十分に理解したつもりだ。
これまでたくさんの人がわたしに対して思いやりの心を以て救済の手を差し伸べてくれたが、わたしは変わることができただろうか?
残念ながら、それは叶わないことであった。
多少は変われたかもしれないが、結局、自分以外の存在は人生の補助的な役割でしかなく、最終的には自分自身で決めなければならないのである。
変わるか?変わらないか?それを決めるのは自分次第なのである。
温かな思いやりの手も、それを掴んで立ち上がらなければ意味がない。
立ち上がったとしても自らの脚で踏ん張り、立ち続ける必要がある。
人は結局は自力なのだと思う。
自立しようとしなければ変われない。
大人になって夢を描くということは、現実と闘いながらそれをするということである。
子どもの頃のように無責任にただ夢を描くことはできない。
どうしても現実が迫り来るのである。
そこで大切なのが自立心であるだろう。
自立心が夢を描かせてくれる。
周囲からの温かな手を無駄にすることなく自立しようとする気持ちが人を自立させ、現実と向き合うだけの日々に終止符を打ち、それ以上先に存在している夢に辿り着くことを可能にするのである。

2012年12月26日水曜日

追憶 309

わたしの心はいつの間にかに恐怖という名の錆(さび)に犯され、夢を描くことを忘れてしまっていた。
振り返ってみると、わたしにはやりたい職業がなかった。
求人誌に載っている仕事でやりたいと思うものはなかったのである。
いつの頃からか、心を侵食した恐怖によってわたしは夢を奪われた。
人生が楽しいなんて思えなかった。
何のために生きているかなんて、誰も教えてはくれなかった。
わたしは瞑想によって自らの心と向き合い、自分自身が本当に求めている生き方というものがどのようなものであるのかを知らなければならないのだろう。
そうでなければ、わたしは夢を描くことができない。
夢を描くことができなければ、進むべき道が分からない。
進むべき道が分からなければ、幸福へは辿り着くことができないのである。
豊かな人生を生きるためには、豊かな心が必要である。
わたしが瞑想をするのは、いつの間にかに忘れていた豊かな心を取り戻すためなのである。

2012年12月25日火曜日

追憶 308

豊かさというものの形は人それぞれに違っているであろう。
しかしながら、その根底はどこかで繋がっているような気がする。
それがどのような豊かさの形であったとしても、心が満たされていなければそれは実現しないのではないだろうか?
人は時と経験を重ねるにあたって、心の豊かさを見失ってしまう気がしてならない。
多くの大人たちは自らの現状に不満を抱えながら生きている。
その度に心は荒(すさ)び、豊かさを失う。
子どもは社会の現実を知らない。
生きていくということが闘いであることを知らないから、好き勝手に夢を描き、いつかそれが叶うと信じて眠りに落ちる。
しかしながら、多くの大人たちは厳しい生存競争を闘わなければ生きていくことはできないと思っている(教え込まれる)ために、現状への不満と将来の不安を抱えながら浅い眠りを彷徨(さまよ)う。
不満や不安を抱えながら生きている心が豊かさを保てる訳がない。
現状への不満と将来の不安と闘っている大人たちの心が豊かなはずがないのである。

2012年12月24日月曜日

追憶 307

日課の瞑想は、その度にわたしの感覚を少しずつではあるが磨いてくれているようであった。
それは、錆びた刃物を研いでいくように、わたしの心にこびり付いた錆を落としていく作業である。
心の錆を落としていく度に、本当に少しずつではあるが自らの意識が「世界」に浸透していくような気がする。
わたしを取り囲む様々な存在に対して自らの意識が手を伸ばし、直にそれに触れる。
それは、目で見て、肌で触れる感覚(五感)とはまた違う形でわたしの中にその対象を認識させるようであった。
心の眼で観て、心で直に触れるような感覚である。
それは、感覚を超えた感覚…
いや、それは本能への帰依であるだろう。
わたしたち人間は、本能から脱することで理性を保つことを覚えた。
そして、理性は人間を動物から文化を持つ人へと進化させた。
しかしながら、理性はある意味、本来持っている力を抑えるという側面もあるだろう。
人は理性によって文化を得る代わりに、本能の中に備わる意識的な力を(ある意味)見失ってしまったのではないだろうか?


2012年12月23日日曜日

追憶 306

わたしの身体が自らの意思以外の動力を使って勝手に動くのは、大天使ミカエルの意思、自らの魂の意思、そして、もっともっと大きな何かの意思であるような気がしてならない。
それが何なのかは分からないが、とても大きなもの(意思)であるように感じる。
自然(地球)とか、宇宙とか、そのような壮大なもののようなものであるとは思うが、それは大き過ぎてわたしには何なのか分からないのである。
しかしながら、この状況は自らに与えられた使命のような気がしてならない。
わたしを動かす力の追求と解明。
この感覚(力)を磨き上げ、研ぎ澄ますことがわたしの目的であると思える。
初めにわたしは、意識的な力によって人や世の中の役に立ちたいと思って準備を始めたが、それがようやくスタートラインに立てたような気がした。
これから、わたしはその道を歩いていく。
これからの一歩一歩の積み重ねが、わたしを自らの目的や理想へと近付けてくれるはずである。
わたしはせっかく掴んだチャンスを手放してはいけないと考えていた。
今までと同じやり方では必ず失敗する。
しっかりとした心構えを以て道を歩まなければならないと、決意を新たにするのであった。

2012年12月22日土曜日

追憶 305

それは自分以外の誰かや何かの意思である。
自分以外の誰かや何かの意思を自らの意思として表現しているのである。
わたしたちは誰かや何かの意思を意識的、無意識的に取り入れて、行動に取り組むことがある。
大抵がそうであるかもしれない。
自分自身の独自の意思によって選択し、行動している人は稀であろう。
厳密にはいないかもしれない。
それは、自分自身の手で種から作物を収穫するようなものだし、砂から鉄を作るようなものだからである。
わたしたちは既に何らかの製品に囲まれながら生活している。
それは、既に何らかの意思(文化)に囲まれながら生活していることと同じなのである。
わたしたちも様々な意思を以てそれを価値観としているが、その価値観の形成には既に存在している誰かや何かの意思というものが大きく携わっているのである。
わたしたちは知らず知らずの内に外側の意思を取り入れ、それを自らの意思と照らし合わせて新たな意思の形を作る。
それが行動として表現されるのである。

2012年12月21日金曜日

追憶 304

身体が自らの意思に反して動くことがある。
身体というものは単純で、習慣にさえ動かされる。
習慣も意思の積み重ねでしかないが、それを超える意思によって身体を動かすのは決して簡単なことではない。
大抵が習慣に軍配が上がってしまう。
瞑想の時のわたしの動きは、反射的な動きに似ているように思えるのであった。
「咄嗟(とっさ)の行動」というやつである。
習慣とは違うが、自らの意思とは違う動力によって生み出される行動という点では共通しているのではないだろうか?
わたしたちは緊急時に、自らの意思とは違う動力によって行動することがある。
物が落下する時や歩きのおぼつかない幼い子どもが転びそうになった時など、咄嗟の行動によってその危険を回避しようとするのである。
そう思ってなくても動いている。
それは、自らが認識することができないような早さで、事態の把握、それを解決するための行動。
という流れが、瞬時の内に行われているのかもしれない。
しかしながら、それを説明することはできないであろう。
咄嗟の行動とは、気が付いたらそうなっているものである。
これは自分自身の意思ではない他の動力によって、その行動が生み出されているということを意味しているのではないだろうか?

2012年12月20日木曜日

追憶 303

瞑想をしていると身体がわたしの意思を離れていく感覚が増えてきた。
そこに恐怖心は微塵も無い。
むしろ、安心感を感じるのであった。
わたしは自らの身体が自らの意思を離れていく感覚が好きであった。
それは大きなもの(意思)に繋がっているような心地の好い気分であったからである。
この方向性は正しい。
根拠は無いがそう信じることができる。
しかし、不思議である。
ただ座っているだけなのに身体はメトロノームのようにゆらゆらと左右に揺れる。
そのうちに気持ち悪くなって吐き気を催す。
そしたら、ゲップと共に口から気体のような液体のような黒いものを吐き出し、それを光の杭で突き刺して浄化する。
その一連の流れが自らの意思ではないのである。
わたしも幼い頃に記憶に無い悪さで叱られたり、やりたくもない悪さをしていたことがあったが、これもあれの延長であろうか?

2012年12月19日水曜日

追憶 302

人生という場所は、つくづく自分自身との闘いの場所だと思わされる。
それは、自分自身の弱い心(破滅的、消極的な意思)との闘いである。
自分自身の弱い心に負けてしまうと、状況はおもしろくない方向へと進んでしまう。
それは、弱い心に負けた自分自身の破滅的、消極的な意思がおもしろくない方法や方向を選択してしまうからである。
結局は、自分なのである。
人生をおもしろくするのも、つまらないものにするのも、すべては自分自身の責任なのだ。
わたしがこれまでの20年間の人生を自らがおもしろくなかったと思うのは、弱い心に負けて破滅的、消極的な意思によってそうなるように選択し、行動したからに他ならない。
それは誰の責任でもない。
すべては自分自身が決めたことなのである。
だから、これからの人生を豊かなものにするためには、自らの弱い心に勝らなければならないのである。
自分自身の弱さに打ち勝つことができない者に、人生の豊かさを手にする資格などないのである。
強く生きる者だけが、豊かさを得るのは自然の摂理なのだ。

2012年12月18日火曜日

追憶 301

建設的な思想を所有することができなければ、積極的な思想は所有することができない。
劣等感などの破滅的な思想では、消極的になるばかりであるだろう。
少なくともわたしの中ではそのような働きが存在している。
そのため、自らの内に存在している破滅的な思想を少しでも取り除く必要があるのであった。
それは少しでも豊かに人生を生きるためである。
好きなことを好きなだけするための準備である。
建設的な思想と積極的な行動力を持ち合わせなければ、好きなことを好きなだけすることはできないであろう。
不満を抱え、文句を言いながら好きでもないことをしなければならなくなるのである。
わたしの今までは正にこれであった。
楽しくなかったのである。
わたしは少しでも好きなことをして生きていたい。
自分なりの楽しさや豊かさを追求していきたい。
そのためには、心が強くなければならない。
建設的で、積極的で、行動的でなければならない。
これからわたしはそのような自分を目指すのである。

2012年12月17日月曜日

追憶 300

わたしの心の中には、多くの破滅的な考え方や消極的な感情が詰まっている。
それは、これまでの経験が導き出した結果であるだろう。
幼い頃のわたしはやんちゃで、手の付けられない悪ガキであった。
それはある意味では、積極的な心を所有していたということである。
もちろん、幼い頃の自分を正当化しようなどとは思わないが、手の付けようが無いほどの悪さをしていたのは、積極的な行動力を持っていたからに違いないであろう。
それが悪さであったにしても、積極的な行動力は評価することができるはずである。
もちろん、結果として散々な目に会い、多くの苦しみを味わうことにはなったが、それが苦しみであったとしても何かを味わうことができたのならば、自分自身にとっては良いことであると思える。
消極的な思想によって行動力に乏しければ、必要な経験を得ることはできないであろう。
それが自分自身にとって、この世界にとってどのような意味を持ち、どのような働きをするのか?ということを知るためには、積極的な行動力によってもたらされる多くの経験が必要なのである。

2012年12月16日日曜日

追憶 299

楽しみを感じ喜びの中に在る時、その心は軽い。
楽しみや喜びを感じている時に心が重いとは思わないはずである。
その反対に、退屈を感じ苦しみの中に在る時、その心は重たい。
人は退屈や苦しみを感じている時には、心が重たいと感じるのである。
これは感覚でしかないが、その感覚は誰しもが得るものであるだろう。
心が重たいのならば、それは沈んでしまう。
心が沈んでしまうと、気分が落ち込んでしまう。
気分が落ち込んでしまったなら、思考や感情は十分に働くことができずに、必要
な問題を解決し、必要な価値を生み出していくことができなくなってしまう。
そうなれば、状況は展開を見せることができない。
状況の停滞は更なる問題を引き起こし、人生はその豊かさを失ってしまうのである。
人が人生を豊かに生きるためには、どのような意識を抱えるのか?ということが重要になってくるだろう。
人は自らが思い、考える人物にしか成り得ないのである。
心が建設的で軽ければ、積極的で行動的な人物になるだろう。
心が破滅的で重たいのならば、消極的で理論的な人物になる。

2012年12月15日土曜日

追憶 298

毎日の瞑想によってもたらされるものは、自らの内に存在している破滅的な思想との対峙である。
瞑想をする度にわたしは自らの弱さや未熟さ、汚く濁った感情や心と向き合わなければならなかった。
毎回のように口から黒いものを吐き出しては、黄金の杭によってそれを浄化していた。
その度にわたしは身体が軽くなるという不思議な感覚を味わうことができた。
毎日不思議には思っていたのだが、破滅的な感情が取り除かれる時にいつも身体が軽くなるので、そこには何らかの理由が存在しているのではないか?と考えるようになった。
下世話な話になるが、車や酒に酔った時に嘔吐すると胸がすっとして楽になる。
そこから体調は回復に向かう。
わたしは自らのこの状況がそれとよく似ているように思えるのであった。
医学的なことは分からないが、身体が体調を整えるために胃の中の食物を吐き出す。
これと同じように心が健康になるために、それを害する破滅的な感情を吐き出すのではないだろうか?
そして、心と身体は一つに繋がっているために、心が軽くなると同時に身体も軽くなるのではないかと思える。
破滅的な思想は重たく、建設的な思想は軽い。

2012年12月14日金曜日

追憶 297

すべての人間、人生は思想によってもたらされる。
その人間がどのように考え、選択し、行動するか?人格や人生はそこに尽きるだろう。
所有する思想が豊かなものであるのならば、それに伴って豊かな考えや選択や行動を取ることができる。
豊かな考えや選択や行動は、当然豊かな状況をもたらし、豊かな人格と人生を導くであろう。
大事なのは「自分がどうあるのか?」ということである。
破滅的な思想によって消極的になり、自虐的、否定的、排他的…
このような破滅的な状態(心境、思考法)になってしまうと、人生が豊かなものになることは有り得ないことなのである。
少なくともわたしは破滅的な状態にあって、喜びや楽しみを感じたり、充実感を得られたことなど今までに一度もなかったのである。
わたしたちは喜びの中で豊かな人格を築き、豊かな人生を生きなければならないだろう。
すべてはそのための経験であり、修行なのである。

2012年12月13日木曜日

追憶 296

自らを観察していると、多くの破滅的な思想を抱えていることが分かる。
今までは気が付くことができなかったが、頭の中や心の中に蓄積する黒いものがもたらす違和感や気持ち悪さ、それが渦巻いている。
わたしがそうであったように、大抵の人はこの違和感や気持ち悪さに気が付いてはいない。
それが普通であると思い込んでしまっているのである。
振り返ってみると、思想がもたらす人間(人格)への影響について周りの大人と呼ばれる者たちは、わたしに何も話してはくれなかった。
教育が思想にまでは届いていないのである。
だから、わたしは道に迷い、多くの悪さを働いたのである。
人のせい、環境のせいにするつもりはないが、子どもは皆素直である。
周りの大人がそうであると言えば、それが真実で、他にはないと思い込んでしまうのだ。
思想的な教育、啓発的な教育があれば、わたしの人格は違ったものであったのかもしれない。
過去を変えることはできないので、このような考えは意味を成さないが、人は皆、その思想から教育すべきである。

2012年12月12日水曜日

追憶 295

黄金の杭は一瞬の抵抗をみせて黒いものに突き刺さった。
その瞬間に気持ち悪くなり、吐き気と共にゲップが出る。
すると、目の前の黒いものが少しずつ色を薄め、やがては完全に消えてしまったのである。
それと同時に吐き気も治まっていた。
心地よい風が胸の中を通り抜けるようであった。
爽やかな気持ちでまぶたを開くと、わたしはまるで生まれ変わったのではないかと思うくらいに胸の中が軽いことに驚いていた。
わたしは今までにない軽やかな気持ちを抱えて幸せだった。
自らの内に存在している破滅的なもの(思考や感情)が、自分自身に対してどれ程悪影響なのかを実感した出来事であった。
あの時、黒いものはキラキラとした光の粒になって空?天?へと昇っていった。
破滅的な意識は重く、建設的な意識は軽いということも理解することができた。
気持ちが重い、軽いなどと表現するのは、多くの人が意識的なものに対して質量を感じているからであるだろう。

2012年12月11日火曜日

追憶 294

意思は選択と行動をわたしに与える。
思ったことは意識的に行動として表現される。
しかしながら、今回のそれは無意識の内に表現される行動であった。
わたしは目の前の空間に右手を伸ばして、人差し指と中指だけを立てた。
そして、そのまま腕を振り下ろす。
するとそこには黄金の杭が姿を現すのである。
わたしはそれをどうしても掴みたいという欲求に引っ張られ、従うのだった。
黄金の杭は意識的なものであるにもかかわらず質量を感じる。
不思議ではあるが、感触も重さも認識することができるのである。
それはまるで、物体を掴んでいるように錯覚するようであった。
黄金の杭を掴むわたしの次なる欲求は、それを目の前の黒いものに突き立てたい、というものであった。
わたしはその欲求に素直に従うことが重要であることを知っている。
わたしは大きく右手を振りかざすと、勢いよくそれを振り下ろした。

2012年12月10日月曜日

追憶 293

ゲップと共に吐き出された黒いものは物体ではなく意識的なものである。
わたしには認識することができているけれど、一般的には目には映らないものである。
わたしの中の破滅的な思考や感情が体内に蓄積し、それが今のわたしには異物として認識されるようであった。
それらを気持ち悪く感じるのは、わたしにとっては必要の無いものだからであるだろう。
もしも、必要なものであるのならば、心地よく感じると思うのである。
それはわたしの求める理想に対して必要ではなかったり、そこに辿り着くためには不要なものなのであろう。
わたしの身体か魂か、大天使ミカエルかハクとコンか…
どのような判断が働いてこのような結果に行き着くのかは分からなかったが、それが気持ち悪いという感覚を覚えるだけで、それが異物なのは理解することができた。
吐き出した黒いものは煙のようでもあり、コールタールのようでもあった。
わたしは漠然と、目の前に吐き出した黒いものをそのままの形で置いておくのは間違っていると感じていた。

2012年12月9日日曜日

追憶 292

ある時から、吐き気に似た気持ち悪い感覚が襲ってくるようになった。
急に気怠さと同時に車酔いのような感覚が襲うのである。
この感覚はわたしにとってはとても苦しいものであった。
何が原因となって吐き気に似た感覚に襲われるか分からなかったし、胸に込み上げる「異物」を吐き出したいとは思うのだけれど、それは叶わないことであった。
わたしは気持ちの悪い吐き気を抱えたまま日常生活を送った。

ある日、何かが内側から刺さるような感覚と共に胸が痛くなった。
鋭利な異物が胸に詰まっているような感覚である。
それは、いつものように気持ち悪い感覚も備えていた。
吐き気と痛みに同時に襲われる。
わたしはこの苦しみをどうにかしようと思い、何度も胸を叩いてみた。
すると、何かが込み上げるような感覚があり、次の瞬間には大きなゲップをしていた。
口からは、ゲップと共に大量の黒い液体が吐き出された。


2012年12月8日土曜日

追憶 291

わたしは自らの持っている個性や力が知りたかった。
どのような形で世の中に貢献し、生きていくことができるのか?
それはわたしの人生テーマでもあるだろう。
わたしが瞑想を続け、意識的な力を磨こうとするのは、それが誰かのためになることを願うからである。
人の心の傷をかばい、苦しみを抱えてさまよう霊を救うことができれば最高であるだろう。
そんな気持ちが根底にあった。
とにかく、わたしは今まで迷惑をかけてきた分、誰かや何かの役に立ち、誇れる人生を歩みたかったのである。
瞑想を続けていると少しずつではあるけれど、自らの感覚が優れていくのが分かる。
以前よりも意識的な存在を感知する力は増えたし、自らの感情も制御することができ、心も落ち着いてきたように思える。
それに、自らを成長させるための啓発的な時間も増えてきたように思える。
読書などの外的学習や、目の前の出来事を自分なりに解釈しようとする内的学習の機会も増えた。
今までは、気にすることもなかったことに対して、何かを学べるようになっているように思えるのである。

2012年12月7日金曜日

追憶 290

毎日毎日、わたしは一日も休むことなく、時間を作っては瞑想を続けた。
ある時、何かの作業をしながらでも瞑想することができることに気が付いてからは、瞑想によって自らの内に向き合う時間を飛躍的に伸ばすことができた。
結局のところ、瞑想とは思考の整理であり、感情の整頓である。
頭と心を極力素直にして、より純粋な発想を得るための作業なのである。
だから、決まった形がある訳ではなく、決まった方法など有りはしない。
目的を達することができれば、形や方法などを気にする必要はないのである。
なぜ、思考と感情を整理整頓し、より純粋な発想を必要とするかといえば、純粋な発想こそに価値があるからである。
人は自らの個性と役割を担って生まれてきた。
誰もが自らの持てる力(個性)を使い、世の中に貢献しなければならないだろう。
世の中に貢献することこそが、自らの担う役割である。
しかしながら、ほぼすべての人物がそのことを忘れているか、知らない。
すべての人は自らの個性を使い、役割を果たすという使命を持っているということを思い出さなければならないのである。

2012年12月6日木曜日

追憶 289

日々の仕事と生活はわたしにとっては厳しいものであった。
真鯛の養殖に加えて、巻き網漁もしていたからである。
早朝2時半から沖に出て漁をし、5時に市場に魚を下ろす。
つかの間に仮眠と朝食を済ませ、8時頃から真鯛の給仕を始め、12時に帰宅し、昼食と仮眠をとる。
14時からはまた真鯛の給仕を始め、18時からは巻き網漁の仕掛けに出掛ける。
19時に帰宅し、また2時半には沖へ出る。
こんな毎日を繰り返していた。
わたしにとっては自由な時間もないような厳しいスケジュールであった。
何よりも睡眠が摂りたくて仕方がなかった。
しかしながら、わたしはそのようなスケジュールにおいても瞑想は続けなければならなかった。
それは、わたしが本当の意味で生きるためである。
自分自身のやりたいこと、進みたい道を開拓するためであった。
毎日の仕事や生活は厳しいけれども、そのような状況においても自分のやりたいことや進みたい道を開拓するための努力を怠ってはならないのである。


2012年12月5日水曜日

追憶 288

これまでの20年間は、馬鹿なわたしに努力の大切さや重要性を分からせるためのものであったに違いない。
「努力することがなければ何も掴めないぞ」「才能に自惚れるなよ」ということをわたしに伝えたかったのであろう。
20年という貴重な時間を使って得られたことが「努力しろ」とは、我ながら情けない。
性根を叩き直さなければならないだろう。
わたしは再び怠慢や傲慢に塗(まみ)れ、劣等感に飲み込まれないために何があっても努力を諦めないことを心に決めた。
どれ程の努力ができるのかは分からないが、小さなことでも積み重ねれば大きなものになるという単純明快な算段である。
今はまだ、先のことは分からない。
現状は全くもって安定を見せない。
わたしはどのような形で生きている意味を見出すのだろう?
どのような形で人や世の中に対して貢献することができるのであろう?
そんなことは全く見えてはいなかった。

2012年12月4日火曜日

追憶 287

何事にも練習が必要である。
大切なことは、何事もただシンプルであり、より古典的であるだろう。
何事にも地道に、そして直向(ひたむ)きに向き合うしか上達する方法はない。
楽をしようとしたり、奇跡や幸運を待っているようではならない。
やった分だけ物事は動く。
楽をしようとしたり、奇跡や幸運を待っているだけなら、何も動かないし得られない。
どのような力や状態を得るためにも、地道に努力する以外に方法は無いのである。
わたしは今までの経験でそれを痛いほど思い知らされている。
自分で言うのも変だが、わたしはどちらかと言えば感が良く、要領やセンスも良かったように思える。
しかしながら、そんなわたしは努力をすることが嫌いであった。
その結果、20年という歳月を生きても、結局は何も持ってはいない人間になってしまったのである。
感が良く、要領やセンスも良かった…
しかしながら、努力という最も大切なことを軽視し、無視したから何も実らなかったのであろう。
感や要領やセンスが悪ければ少々厳しくはあるが、努力することができなければ絶望的である。
わたしは絶望を選んだのである。



2012年12月3日月曜日

追憶 286

自らの中に存在していた劣等感の塊を吐き出したとしても、すぐにその呪縛から解き放たれるということはない。
そのようにおいしい話は無いのである。
一時的には劣等感から解放されるであろうが、その状態が永続するような奇跡的な安定など、この世界には存在しない。
状態を維持し、より良くしていくのであれば、そのように努めなければならないのである。
今のわたしは劣等感から解き放たれた状態であるが、努めを怠ればまた同じ状態へと舞い戻ってしまうだろう。
何事にも努力が必要なのである。
わたしはこのチャンスをきっかけとして、劣等感に飲み込まれない自己を確立していかなければならない。
それは、自分自身の内に在る弱い心との闘いである。
己に負けるようであるのならば、どうしようもないであろう。
劣等感はすぐさまわたしを暗闇の中に引き摺り下ろしてしまうに違いない。
最大の敵は自己に在る。
これからは、それに負けないようにしなければならない。

2012年12月2日日曜日

追憶 285

優越感を得るためには、人並みの努力でも足りない。
人の何倍もの努力をし、人と自らを遠ざけなければならないだろう。
周りの人たちと同じ場所で仲良しこよしをしていてもだめであろう。
人は人と同じではならないのである。
人と同じことでは優越感など得られるはずもない。
自らを高め、唯一の存在、特別な存在になる必要があるのである。
人よりも何かで優れていなければならない。
それが自信を生み出し、優越感を導いてくれる。
そう信じたい。
人よりも優れていない者が持てる自信などありはしないだろう。
優越感など、夢のまた夢である。
わたしはエキスパートにならなければならないと決意した。
わたしの場合は、この意識的な力によって唯一の存在、特別な存在を目指す。
誰よりも優れるために、誰よりも努力を重ねる。
誰よりも優れた時、わたしは自信と優越感を得ることができるだろう。
わたしはその感覚を得るために生きることを心に決めた。

2012年12月1日土曜日

追憶 284

わたしは劣等感を生み出すよりも先に、優越感を生み出さなければならない。
何よりも自分自身に対して自信を持つことが大事であるだろう。
自分自身を信じることができれば、自分でも気が付いていないような力を内に理解し、それを使って何かができるかもしれない。
それに、こんなわたしでも誰かや何かの役に立つこともできるかもしれないのである。
劣等感を克服する生き方は簡単なものではないだろう。
それは、並大抵の努力では叶わないはずである。
ただ当たり前に生きているだけではならない。
人並みの努力でもならない。
優越感を得るためには、それ以上の生き方が求められるのである。
現にわたしは、今までの生き方では劣等感を克服することができなかったのである。
人並みの努力をしてきたか?と聞かれれば、決してそうとは言えない。
わたしは努力すること、問題を解決すること、苦しいこと、嫌なことから逃げてきたのである。
そんなわたしが劣等感を抱えるのは当然の報いなのであった。