このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2012年9月30日日曜日

追憶 222

もちろん、知識(理想)と実行力との間には隔たりがある。
今のわたしには乗り越えられることは少ないけれど、乗り越えられないにしても逃げ出すより、逃げ出さずに苦悩を味わった方がマシであると言えるだろう。
そこで、わたしは何か一つだけ、そのことに関しては絶対に逃げ出さないというものを決めた。
それが、わたしにとっては意識的な感覚に対してのものだった。
一つのことだけでも逃げ出さずに立ち向かっていくことができたなら、いろんなことにも逃げ出さずに立ち向かっていけるのではないかと思っていた。
わたしは意識的なことからは、何があっても逃げ出さない。
何があっても背を向けない。
何があっても諦めない。
何があっても文句を言わない。
そう自分自身に誓ったのである。
この気持ちこそが「神」の加護であるように、わたしにはそう思えるのであった。

2012年9月29日土曜日

追憶 221

白龍神は、わたしにそう伝えたように思える。
白龍神が去った後、わたしの中にはこれからどのような試練や困難に対峙することがあったとしても、そこから逃げ出さずに立ち向かって乗り越えなければならないという気持ちが溢れていたのである。
わたしにはこの気持ちこそが白龍神の導きであるように思えた。
「神」というものは本来、人に困難に立ち向かう勇気を与えるものである。
それ以外は本来の「神」ではないだろう。
白龍神に出会ってから、わたしは人生の試練や困難に対峙することがあったとしても、決してそこから逃げ出さずに立ち向かって乗り越えていくことを決意したのである。
それから、養殖の仕事の中で気に食わないことがあったり、父親との衝突などのわたしにとっては大きな試練や困難があったが、白龍神が残してくれた気持ちを胸に自分なりの努力によって向き合った。


2012年9月28日金曜日

追憶 220

神が苦しみを遠ざけ、取り除いてくれるという考えは幻想である。
実際に「神」という意識的な存在に対峙すれば分かる。
残念ながら、彼らはわたしたちを苦しみから救うことなどない。
宗教のように人間にとって都合の良い「神」など実際にはいる訳がない。
甘い言葉を投げ掛けるのは売り子や詐欺師ぐらいである。
甘い言葉には策略が潜んでいるのである。
信じれば救われる?
そんなものは滑稽(こっけい)である。
本当の「神」という存在は、人に試練を与えるという役割を担っている。
本来ならば、「神」とは人間の感情からすれば都合の悪い存在なのである。
「神」は師のような存在である。
厳しくはすれど甘やかすことなどない。
良い師ほど、上質の試練を与える。
「神」は人に試練という苦しみを与える代わりに成長を引き出している。
宗教を信仰し、苦しみから逃れる方法を模索している人物が成長することなどできるだろうか?
成長することができるのは、苦しみを受け入れ、乗り越えた者だけである。


2012年9月27日木曜日

追憶 219

白龍神は飛び去っていってしまったが、わたしは自らの中に白龍神の加護を感じることができた。
白龍神と出会ってから、わたしの心の中には今までにはない安心感が存在するようになったのである。
わたしにとっての加護とは安心感である。
わたしは神に助けてもらおうなどとは考えない。
苦しみを取り除いてもらおうなどとは思わない。
人間は「ジタバタ」しながら生きて、困難や苦悩にぶち当たることが大切であるように思えるのである。
ある意味、地を這(は)うように生きることこそが、人間を高めてくれるのだと思う。
だから、神の加護がわたしの問題や壁を取り除くのならば、きっと神など無能である。
しかしながら、神の加護が苦しみからの離脱だと考えている人は多い。
そのため、大抵の人は苦しみを遠ざけようと神に祈るのである。



2012年9月26日水曜日

追憶 218


「お前の力となろう。お前の一部となろう。我の力となり、一部となれ。さすればお前は力を得よう。我の名は『白龍神(はくりゅうじん)』。この海を統べる者である…」

目の前の巨大な白い龍は、突然にわたしの心の中に強引に意思を投げ掛けた。
わたしは驚きの中にその意思を受け取ったが、これはとても素晴らしい申し出だと思い、すぐにその申し出を承諾した。
すると、白龍神は何も言わずに空に登り、そのまま南の方角へと飛び去ってしまった。
それと同時に視界がブラックアウトして何も見えなくなった。
わたしは自らの肉体の感覚を感じ、ゆっくりとまぶたを開いてみた。
そこには何の変哲もない見慣れた天井が当たり前の顔をして鎮座しているだけで、目の前からは黒い夜空も白龍神も消えていた。




2012年9月25日火曜日

追憶 217

巨大な白い龍はやがてわたしの頭上へと辿り着いた。
何かを確かめるかのように家の上空を何度も旋回している。
その光景に圧倒されたわたしは、それを眺めていることしかできなかったが、この期に及んで慌てるのも分が悪いと思い気持ちを落ち着かせるように努めた。
そんなわたしの心情を察していたかのように、巨大な白い龍は上空から柔らかく舞い降りた。
屋根を突き抜け、天井を貫通し、巨大な白い龍の鼻先はわたしの目の前にあった。
わたしは蛇に睨まれた蛙のように身動き一つ取れなかった。
龍に睨まれた人間である。
わたしは呼吸するのにも気を遣った。
恐怖ではなく、畏敬(いけい)の気持ちがわたしの心を支配していた。
わたしはしばらくの間、巨大な白い龍と視線を交わすのであった。

2012年9月24日月曜日

追憶 216

それは隙間風程度の音を引き連れていたが、次第に大きくなり海鳴りのような音へと変わっていった。
世界が慌ただしい。
胸の奥でも何かが騒いでいる。
しかしながら、わたしの中に不安はなかった。
むしろ、落ち着いている。
わたしの意思ではないわたしが騒いでいるような不思議な感覚である。
頭は冷静沈着なのに、心は緊張しているような状態であった。

黒い空に一際目立つ白色が現れた。
それは徐々に黒色を浸食していく。
白色が大きくなるに連れて、それが龍の形をしていることが分かった。
そして、近付くに連れて、それが山よりも大きな龍であることが分かった。
わたしはいつか海で見た巨大な白い龍を思い出し、目の前のそれを当てはめるのであった。


2012年9月23日日曜日

追憶 215

どこからともなく届く意思に心を合わせるようにして辿っていくと、わたしは天井を突き抜け、屋根裏を通り越し、空を見た。
そこには夜空が広がっていた。
しかしながら、それは月も無ければ星も存在していない夜空であった。
夜空というよりは黒い空である。
ただし、そこに変な感じはなかった。
見慣れた夜空に輝きがないだけである。
雨などで雲が覆っている夜空のような感じだ。
視点はわたしから始まり、夜空を見上げている構図である。
すると、南の空から何かがこちらに向って来るような感覚があり、それは遠くの方からわたしの所を目指しているようであった。
なぜだかは分からないが、直感的にそう思うのである。
わたしは胸の高鳴りを抑えながら、南の空に目を凝らした。
すると、わたしの頬を風が撫でた。

「風?」

わたしは心の中でそう呟いた。

2012年9月22日土曜日

追憶 214

その日は一日、素敵な気持ちの中で仕事を終えることができた。
それから、巨大な白い龍を見ることはなかったが毎日のように大きな意思を感じる。
まるでその意思がわたしの心の扉をノックしてくるようであった。
わたしは海に出ることが嬉しかった。
それは、海に出ればあの意思を感じることができたからである。
大きな意思はわたしを包み込んでくれた。
母なる自然に包み込まれているような、そんな雄大な安心感を感じるのである。
北灘湾に生きるすべての命と何の隔たりもなく一つに包まれているような、そんな感覚であった。
今まではこんな風に感じたことなどなかった。
わたしは一人で「すべての命はひとつに繋がっているんだなぁ」なんてことをぼんやりと考えていた。

ある日の瞑想中、わたしは一人で部屋にいたのだが、部屋の中では初めて海で毎日のように感じるあの意思を感じた。
わたしはいつもと違う感覚に多少戸惑ったものの、その意思を辿ってみることにした。

2012年9月21日金曜日

追憶 213

沖で仕事をしていると、何か別の意思を感じることがあると言ったが、白い龍が腹の中に収まってからというもの、その意思を感じる頻度も上がったように思える。
その意思はとても大きなものであるような気はするものの、大き過ぎるせいなのか漠然としていて掴みどころがない。
強いて言うなら、北灘湾の意思を感じているような感覚なのである。
それは毎日わたしに意思を投げかけてきた。
そして、それは日増しに強くなっていった。
そんなある日、わたしが沖で仕事をしていると、ふと南の空が気になった。
それはあの意思を南の空に感じたからである。
何の気なしに見上げた空には、異様な光景が広がっていた。
そこには真っ白で山よりも大きな龍が優然と泳いでいたのである。
わたしは驚き、自らの目を疑った。
しかしながら、それは一瞬の出来事であり、次の瞬間には跡形も無く消えていたのである。
わたしは陽の光や雲を巨大な白い龍と見間違えたのだろうと自らを納得させた。
しかしながら、心臓はその鼓動を高めている。
見間違いなのであろうか?
しかしながら、確認する手立てはなかった。
わたしは不思議なこともあるものだと思い、何だか嬉しい気持ちの中で仕事を続けた。


2012年9月20日木曜日

追憶 212

ハクとコン(狐)に始まり、白い龍が来てくれたことによって、わたしは意識的な存在との距離が少しではあるが縮まったように感じていた。
気のせいかもしれないが、心に感じていた何かが足りないような感覚が、ほんの少し埋まったようにも思える。
目には映らない存在を感じる感覚も、ほんの少し高まったようにも思える。
意識的な存在を意識し、側にいようとすれば、それを捉えようとする能力は自然と長けてくるのではないだろうか?
絵をやっていれば色彩感覚が養われる。
料理をやっていれば味覚は研ぎ澄まされる。
それと同じことであるだろう。
元々、わたしは霊感ゼロ人間である。
そう考えるとその感覚は当初に比べると大分磨かれているだろう。
白い龍が腹の中に収まってから、わたしは意識的な存在と交流するのが更に楽しみになるのであった。
わたしは毎日、意識的な感覚が働くことを楽しみにしていた。
忙しくて長い拘束時間を有する仕事と腰痛という苦しみを抱えていたが、意識的な感覚が芽生えてくれたおかげでわたしは毎日に変化と楽しみを見出すことができていたのである。



2012年9月19日水曜日

追憶 211

もちろん、何を信じるかは個人の自由だ。
どのような価値観を持っても良いのである。
しかしながら、目に映る形だけを信じることしかできないのは寂しい。
それは、「お金さえもらえれば友人を裏切っても構わない」過剰な表現ではあるが、わたしにはこのように聞こえてしまうのである。
まぁ、目に映る表面的な利益ばかりを求めた結果が、友人である自然を破壊して富を得るという形になっていったのだから強(あなが)ち間違いでもない。
わたしも意識的な存在を感じることがなかった頃は、目に映る形ばかりを求めていた。
罪もない小さな命を殺すのも平気だった。
むしろ、そこに快楽さえ感じているほどだった。
人の気持ちなんて考えられなかった。
自分の考えを押し付け、従わなければ争っていた。
意識的な存在を感じることのなかった頃のわたしは、大切なものが(今よりも)全く見えてはいなかったのである。
人の心も目に映ることはないが確実に存在しているものである。
ある意味、人の心も意識的な存在である。
「神」と同じものなのである。
意識的な存在を感じることは、人の心も感じることに繋がるのではないだろうか?
もちろん、自らの心にも。

2012年9月18日火曜日

追憶 210

協力者が増えると、人は自ら可能性を広げることができる。
自分ひとりではできないことが、二人いればできたりする。
三人、四人と人数が増える程にできることは単純に増えていく。
どのようなことにおいても、協力者の数が可能性を広げるためには有効なのである。
それは、人に限ったことではない。
意識的な存在たちもとても心強い協力者なのである。
近年では、目には映らないものを信用する人は少ない。(推測ではあるが…)
意識的な感覚や価値観が衰退しているのは事実であるだろう。
それは信仰心や宗教的思想の欠落などではなく、科学技術の進歩による自然からの脱却や、氾濫する情報や教育方針などによってもたらされる思想の自由化による道徳心の低下などが原因となっているように思える。
幼い頃は見たこともない「神」という存在を尊ぶ気持ちを持っていたが、成長に従ってそんな気持ちもどこかへと消え失せてしまっていた。
何時の間に意識的な存在や感覚を大切にする気持ちも失っていたのである。
多くの人が同じような感覚の中に生きているだろう。

2012年9月17日月曜日

追憶 209


「我の力を使うが良い」

白い龍はそう告げるとその姿を腹の中に溶かした。

ゆっくりと自分が覚醒していく。
意識的な感覚と肉体的な感覚とがバランスを調節し、わたしという人格を作り上げる。
しかしながら、瞑想に至るまでのわたしの人格と、瞑想から醒めた今の人格には多少の違いがあるように思えた。
どこが違うのかを具体的な形で認識することはできなかったが、心の中が前とは違うのである。
心の中に支えができたような感覚や、以前にも増して自信や安心感が増したようにも思えた。
以前よりも増して充実している。
わたしは嬉しかった。
多少なりにも成長することができたように思えたからである。
多少ではあるものの、わたしのこの変化は白い龍が内側に入り、わたしを守護してくれているからに違いないだろう。
白い龍が側にいるという認識がそう思わせるだけかもしれないが、それはそれで結果としては良好である。



2012年9月16日日曜日

追憶 208

すると、わたしが口を開けるのを見計らったかのように白い龍は勢いよく降下を始めた。
雷のように素早く降下した龍は、有無を言わせずわたしの口から体内になだれ込んできた。
わたしはあまりのことに驚くしかなかった。
人はあまりにも驚愕したなら何も考えられないことを実感した。
思考が紡げない。
頭の中にはまるで漫画のように「!(びっくりマーク)」が幾つも連なっていたのである。
龍を受け入れるために、顎(あご)が外れるのではないかと思う程に口が開く。
口の次には喉が開く。
食道を通り越し、白い龍は腹の中に収まった。
そして、腹の中でどういう訳か身体を絡ませながら球体を作ってみせた。
それは一瞬の出来事であったに違いない。
しかしながら、わたしにはとても長い時間のように思えた。

2012年9月15日土曜日

追憶 207

わたしは高く舞う白い龍の美しさから視線を離すことはできなかった。
その時、わたしは自らの肉体を強く感じた。
感覚が意識的な部分から、肉体的な部分へと移り変わろうとしているようである。
少しずつではあるが、細胞が活動するような感覚、皮膚が空気と触れ合うような感覚、そして何よりも血液が全身を潤すような感覚が蘇ってくる。
普段は当たり前過ぎて何にも感じない感覚ではあるが、このような状況においてはそれが当たり前ではなかった。
肉体的な感覚をとても愛おしく感じるのである。
感覚が意識的な部分から肉体的な部分へと移り変わると、まぶたを閉じて座る自分を認識することができた。
しかしながら、その肉体は自由を得ている訳ではなかった。
感覚としては普段と変わらないが、まぶたを開くこともできなければ、体制を決めることもできなかった。
不思議である。
まぶたを閉じて座るわたしは、頭上の龍を見上げていた。
あまりに高いところを飛ぶので首が痛い。
その時、わたしは自らの口が大きく開くのを感じた。

2012年9月14日金曜日

追憶 206

わたしはどういう訳か、無条件にこの白い龍のことを信用していた。
この龍なら、わたしの求めるものを提供してくれるとでも思ったのであろうか?
今だに謎ではあるが、自分自身でもなぜ初見の白い龍を信用したのかは分からない。
強いて言うなら直感的な心の働きである。

「相(あい)分かった」

わたしの答えを聞くと白い龍はそう応えた。
それはとても力強い声(意思)だった。
すると、先程まで絵画のように微動だにしなかった龍が、まるでキャンパスからその身を剥がすようにして動き始めた。
当初はぎこちなかった動きも徐々に滑らかになり、わたしの目の前で渦を描くように躍動してみせた。
わたしがその光景に釘付けになっていると白い龍は視界から弾け飛び、頭上高くに舞った。
暗闇に煌(きら)めく白い光は、まるで北欧の夜空を支配するオーロラのように美しかった。(オーロラを実際には見たことがないのが残念である…)

2012年9月13日木曜日

追憶 205

目の前の龍はその姿を徐々に鮮明にしていった。
全身を覆う大きな鱗(うろこ)は青白く妖艶な輝きを放っている。
その時、どこからともなく声が聞こえてきた。

「力が…必要か?」

それは太い男性の声だった。
声というよりは意思であるだろう。
心に直接的にとても鮮やかに突き刺さる。
わたしは太い男性の声に対して反射的に応えた。

「はい!力が欲しい!」

それは純粋な気持ちが導き出した答えであったに違いない。
そこには何の打算もなかった。
わたしの中には意識(霊)的な力というものが、人や霊に対して何らかの役に立つという認識しかなかった。
その力が私利を貪る道具になることなど、考えの中にはなかったのである。
何よりも、この龍が美しかったことがわたしの中の様々な選択肢を潰したのであろう。
だからわたしは純粋な気持ちで即答したのである。

2012年9月12日水曜日

追憶 204

それは、黒い背景の中に浮かぶ白い龍であった。
眩しい光を見た直後にまぶたを閉じると、光が残像としてまぶたの裏側に焼き付くことがある。
白い光の残像がまぶたの裏側の暗闇に焼き付いているのを見たことがあるだろう。
今わたしが見ている光景は、その現象に酷似している。
黒いまぶたの裏側に白い龍の形をした光の残像のようなものが見えるのである。
しかしながら、これは光の残像などではない。
なぜなら、白い龍の形のしたものは、その姿を少しずつ鮮明にしようとしていたからである。
それが光の残像ならば徐々に薄れていくのが普通であろうが、それとは正反対の動きをしている。
わたしは高鳴る鼓動を感じながら、目の前の光景をただ眺めることしかできなかった。
怖さや危機感はない。
落ち着きはしないが、安全であるような気はしていた。
光がある程度鮮明になったところで、頭部にはギザギザに尖った角?のようなものが確認できた。
そして、背中にはカジキマグロ(バショウカジキ)のような背びれが連なっていた。
その姿は、わたしの中の龍のイメージそのものであった。

2012年9月11日火曜日

追憶 203

心の中に向かうと、どこか落ち着かないような感覚がわたしにまとわり付いて離れようとはしなかった。
例えるならば緊張感であろうか?
それとも焦燥感であろうか?
何か大事なことを忘れているけど思い出せない時のような気持ちであった。
何とも表現し辛いのだが、心が浮き足立って落ち着かないのである。
わたしは何とか心を静めようと努めた。
心の中に存在している「静寂」を探せば何とかなるはずである。
心が落ち着かない感覚も、静寂の中までは付いて来れないだろう。
そう考えた。
しかしながら、いくら探しても静寂への入口は一向に見付かりそうもなかった。
わたしは諦めて心が落ち着かない感覚に意識を合わさるようにして向き合ってみた。
すると、胸の鼓動が次第に高まり、まるで心臓が身体の外に飛び出してしまったのではないかと思える程に高鳴り始めたのである。
それと同時に目の前の暗闇の中に何かが浮き出てくるのが見えた。

2012年9月10日月曜日

追憶 202

それからというもの、度々わたしの頭の中には何か別の意思が紛れ込んでくるようになった。
初めは勘違いかとも思ったが、こう何回も続くとそうではないような気がしてくる。
しかしながら、わたしにはそれが何なのかを掴むことはできなかった。

(不思議なこともあるものだなぁ…)

そのくらいの位置付けで置いておくことにした。

ある日のこと、いつものように部屋で一人瞑想をしていた。
今日はハクとコンがどこか騒がしい。
どうしたというのだろうか?
いつもはわたしに引っ付いてくるのに、この時は距離を取って近付こうとはしなかった。
何かあるのだろうか?
わたしはハクとコンの異変の原因も知ることができるかもしれないと思い、さっそくまぶたを下ろし、心の中へと向かった。



2012年9月9日日曜日

追憶 201

海に出て毎回ゴミを拾う。
船で走っている時、筏(いかだ)で作業をしている時など、結構な数のゴミが海面を浮遊している。
スーパーのナイロン袋やペットボトルなどが多い。
わたしは毎回少し悲しくなり、少し怒りながらそれを回収するのであった。

そんなある日、北灘湾に正午を知らせるサイレンが鳴り響き、わたしは筏での作業を早めに切り上げて昼食を摂るために家路に着いた。
初夏の陽射しが海面に反射してキラキラと美しかったのを覚えている。
船のエンジン音に紛れて、海を切り裂く音が聞こえる。
それは普段と変わらない当たり前の光景であった。
遠くに見える山の向こうには、入道雲の子どもが生まれていた。
わたしは入道雲の子どもを肴に、潮風を引っ掛けて夏に酔った。
その時だった。
わたしの頭の中には自分以外の意識が流れ込んでくるような感覚があった。
それは突然のことであったし、一瞬のことであったので、わたしは驚いて船を止めた。
アイドリングのためにエンジン音が小さくなる。
わたしは声を聞いたのだろうか?
周りを見渡す。
養殖筏の間にカモメが数羽飛んでいる。

「カモメの鳴き声でも聞いたかな?」

わたしは不思議に思ったが、勝手にそう解釈して再び船を走らせた。

2012年9月8日土曜日

追憶 200

波間を漂うナイロン袋をすくい上げる。
わたしはそれを船に用意してあるカゴの中にゴミとして投じた。
人が不法に捨てるゴミも欲望の現れである。
ゴミを処理する時間や労力を欲張り、その辺に無造作に捨てるのである。
人間の様々な欲望によって自然はダメージを負っている。
わたしには人の欲望を抑える力はない。
経済活動を縮小させる権利もない。
今のわたしにできることと言えば、ゴミを拾うことによって海へのダメージを少しでも和らげることだけだったのである。
人間の持つ欲望からの解放が自然環境を豊かなものにするためには必要なのである。
しかしながら、人間も自然の一部である。
そのため、どうしても自然に対して介入せざるを得ない。
どうしても関わらなければならないのならば、極力迷惑をかけないようにしなければならないし、互いに協力しなければならないという考えである。
わたしも北灘湾を使っている一人であるため、偉そうなことは言えないが、浮遊しているゴミを取り除けば(見た目的には)海は綺麗になる。
海が綺麗になれば、人の心も少しは変わるのではないかと考えたのだ。
結局は、心が原因なのである。
人間のすべての活動は心に起源している。
心が変わることがなければ、自然環境など改善することもないであろう。
そのために、わたしは毎日毎日ゴミを拾うのである。

2012年9月7日金曜日

追憶 199

それは、人間の手が入り過ぎているからである。
今までの「失敗」によって、誰にだって自然(海)が耐えられる限度というものを理解することができる。
そのために、北灘漁協では筏の台数を制限している。
しかしながら、それを守らない業者は後を立たない。
それは資本主義社会が生み出すジレンマである。
経済の拡張と自然環境の悪化は比例せざるを得ない。
人が経済活動を広げる度に、自然の営みに介入しなければならないからである。
人がハードパワーによって踏み込めば、自然はそのベストなバランスを保つことができない。
生態系を維持しているのはソフトパワーである。
自然環境に則した形によって緩やかに変化していく。
しかしながら、人間は自然を克服しようとする。
生産性を高め、より多くの利益を得るためには、自然の速度を無理矢理に歪めてしまった方が有益なのである。
自然環境にとって、人間の持つハードパワー(欲望)は脅威なのである。

2012年9月6日木曜日

追憶 198

生態系に影響力を持つのは気候変動と人為的な働きであるだろう。
近年の北灘湾の生態系の変化というものは気候変動による影響力であるとは考えにくいのではないだろうか?
やはり、人間が生業として人為的に自然に手を加えたことが一番の影響力を持っていたに違いないであろう。
わたしたちは自然からの恩恵を受けなければ生きていくことはできない。
すべての人類、すべての生命に共通することである。
自然から離れて生きていくことなど不可能なのである。
自然環境、小さな生命を無視して築くことのできる豊かさはどこを探しても存在しないのである。
どのような生命も、自然環境のバランスを保つのに役立っている。
一つが欠ければ一つが欠ける。
その繰り返しである。
その結果、自然環境が抱えることのできる生命のキャパは縮小する。
キャパが縮小しているにもかかわらず事業を拡大すれば、支え切れないのは必至であるだろう。
自然環境は単純計算や机上の空論で成り立っている訳ではない。
様々な生命の折り合いがあって初めてバランスという調和が生まれるのである。
残念なことに、今の北灘湾の環境には調和は存在していないように思える。

2012年9月5日水曜日

追憶 197

わたしの家は家業として、ちりめん漁、たて網漁、巻き網漁(真珠、養殖業)など様々な形で海に携わってきた。
幼い頃は深夜二時からのたて網漁や巻き網漁にも良く同行したものである。
わたしが東京から帰っても、たて網漁と巻き網漁は養殖業と並行して行っていたが、獲れる魚の種類と量は比較するまでもなく少なくなっていたのである。
これも自然を酷使した結果であると言うことができるであろう。
近年の赤潮騒ぎも、海のバランスが崩れたことによるプランクトンの大量発生が原因となっているのではないだろうか?
わたしたち人間は、豊かな暮らしの代償として、取り返しの付かない過ちを犯しているのではないのか?
ある時、真珠貝が大量に死滅した。
これによって真珠業者は大打撃を受けた。
原因はそれだけではないだろうが、この騒ぎは業者を始め漁協までもが潰れてしまうという事態にまで発展することになった。
そして、赤潮の影響で養殖魚が大量に死滅した。
つい先日も宇和海ではカンパチなどの養殖魚が過去最大の被害額を叩き出した。

2012年9月4日火曜日

追憶 196

そのおかげでわたしはお金に困ったことがなかった。
大きな家に住むこともできたし、欲しいものはいつでも手に入った。
何不自由なく生きてきたのである。
それはとても有難いことであるだろう。
しかしながら、人間の暮らしが変わっていくのと同じように、北灘湾の姿も変わってしまった。
わたしの記憶には無いことだから聞いた話ではあるが、昔は春になると海岸にもたくさんの海藻が現れ、まるで絨毯(じゅうたん)のように海岸線を覆い尽くしたそうである。
魚の種類も豊富で、ハタタテダイなどの珊瑚礁を棲家(すみか)にするような魚まで普通に泳いでいたようである。
しかしながら、養殖業を始めてからと言うもの、その光景は一変してしまった。
養殖業を始めた頃、養殖魚に与える餌は生餌といって鯵(アジ)や鯖(サバ)などを冷凍したものをミキサーに掛けただけのものだった。
生餌は魚を切り刻んだだけのものなので、それからは大量の油が浮き出た。
その油が北灘湾に漂い、海は油だらけであったという。
養殖筏の碇(いかり)のロープには20cm程の油の層が付着していて、碇を張り直す時には油が層になったものを取り除いてから作業を始めたそうである。
碇のロープを引く手も油で良く滑ったそうだ。
そのような過酷な環境で生きていくことのできる種は限られている。
北灘湾には過酷な環境の中でも生き残っていけるような種類の生物だけが残るだけになってしまった。

2012年9月3日月曜日

追憶 195

悲しいけれど、人間とは利己的な存在である。
資本が絶対的な形で根底にある人間の社会においては、利益を追求することは重要なことであるが、利益というものは自然からしか発生しない訳だから、自然という利益を生み出す母体を傷付けてしまっては本当の利益など得られないのである。
人は自らの利益のために母なる自然を酷使し、搾取してきた。
漁業(釣り、網)、養殖業(魚、真珠)、干拓、排水…
自分たちの利益、生活向上、金儲け…
様々な理由によって人は自然を傷め付けた。
自然を酷使すれば、多くの利益を生み出すことができる。
魚は根こそぎ乱獲してしまえばいい。
好きなだけの数の魚を養殖し、大量の餌を巻き、大量の糞尿を海に流せばいい。
養殖の魚や貝を病気から守るために大量の投薬もいい。
お金がたくさん手に入り、生活が豊かになればそれでいい…
その結果として、北灘湾の養殖魚(業)や真珠(業)は全国的な知名度と多くのお金を手にすることができた。

2012年9月2日日曜日

追憶 194

腰の具合は相変わらず不安定であり、真っ直ぐ座ることはできなかったし、右足はずっと痺れていた。
それでも何とか仕事はできたので有難かった。
騙し騙しではあるけれど動けるということは本当に価値のあることだ。
そんな身体や状況に対して感謝の気持ちが自然に溢れてくる。
幸いなことに、わたしはその感謝の気持ちを北灘湾にも向けることができた。
北灘湾はわたしに仕事を与えてくれるし、家族を養ってくれている。
わたしたちは感謝してもし切れない程の恩恵を受けているのである。
そんな北灘湾に対して感謝の気持ちが溢れるのは人として当たり前のことであるように思うが、自然を自分たちの金儲けの道具としか見ていない人間がいるのも事実である。
悲しいことだけれど仕方の無いことなのである。
養殖業者だけではない。
様々な職種の人たちが生活している場所である。
海の仕事に携わっていない人であっても、感謝するのは当たり前のことであるだろう。
しかしながら、道路や河川や海岸にはゴミが溢れている。
そのほとんどが、地元民の捨てたゴミなのである。
領収書や薬の氏名から名前や住所すら分かってしまう。

2012年9月1日土曜日

追憶 193

養殖の仕事で海に出る。
その度にわたしは海に浮かんでいるゴミを回収していた。
残念なことに、周りの養殖業者の人たちは海に平気でゴミを捨てていた。
彼らにとってはそれが習慣であり、当たり前のことなのだろう。
わたしはそんな習慣が嫌いでゴミを回収し続けた。
もちろん、養殖業者の人たちに直接注意もしたし、ゴミを捨てた側から本人の目の前でそれを回収していた。
彼らはそんなわたしのことを多少なりとも煙たがっていたであろう。
しかしながら、わたしはこの活動が正しいと信じていたし、きっと彼らに良い変化を与えることと信じていた。
何かを変えることは簡単ではない。
特に、人の価値観や習慣を変えることなど至難の技である。
だけど、少しずつ地道にアプローチすれば、変わるものだと信じていたのだ。
わたしは自らの正義に従ってゴミを回収し続けた。