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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2012年4月26日木曜日

追憶 65

わたしたちも何かに傷ついている時、急に優しさを投げ掛けられたなら、きっと動揺するであろう。

そこに警戒心を生み出してしまうかも知れないし、恐怖を覚えてしまうかも知れない。

優しかった人が急に怒り始めるのとは表現が反対ではあるが、それと同じことであるだろう。

彼らがここにとどまっていたとしても、わたしの力が彼らを救うことができたのかは分からない。

もしかすると、彼らはわたしでは力不足であると踏んだのかも知れない。

どちらにしても、わたしの中にはある種の「悔しさ」が残っていた。

彼らの力になりたいと願うものの、それが叶わなかったのは自らの未熟がもたらした結果であることは間違いない事実である。

それは後悔としてわたしの心を苦しめることになった。

苦しんでいる存在(霊、人、自然など)を救うまではいかなくても、何かの役に立つことはできるはずである。

しかしながら、今のわたしではそれすら叶わないのだから、同じステージには立てていないことになるだろう。

それは、自らの理想とあまりにもかけ離れているのであった。

わたしはこれから目指す道に否定されたように感じた。


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