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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2012年4月6日金曜日

追憶 45

霊と関わることによって感じたことは、彼らは飢えているのではないか?ということだった。
ある者は愛情に飢えている。
ある者は優しさに飢えている。
ある者は安息に飢えている。
ある者は繋がりに飢えている。
様々なことに飢えているために、満たされていないのではないかと思うのである。
そして、耐えているのではないかとも思える。
ある者は痛みに耐えている。
ある者は孤独に耐えている。
ある者は怒りに耐えている。
ある者は苦しみに耐えている。
ある者は悲しみに耐えている。
ある者は恐怖に耐えている。
飢えと同時に耐えが彼らの中には存在しているのであろう。
そのために屈折するのだ。
それは、わたしたち人でも同じことだと言えるのではないだろうか?
何かに飢え、何かに耐えている時、わたしたちの心は満たされない。
心が満たされなければ、わたしたちの思考や感情は屈折してしまうだろう。
満たされない状況の中に、わたしたちは冷静さや穏やかさを保つことは出来ない。
それに、不可抗力によって引き起こされる状況や心境もあるだろう。
わたしたちは本当に怒りたくて怒っているのだろうか?
わたしたちは本当に悲しくて悲しんでいるのだろうか?
何かに満たされない時、感情が引っ張られるということがあるだろう。
わたしには、霊たちがどうしても誰かを困らせようとしているようには見えないのである。
人が悪霊や怨霊と呼ぶような「悪」は存在しないように思えるのである。

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