わたしは自らの金縛り体験を通じて、自らの「真実」に近付いた気がしていた。
自分だけの「真実」は、霊は仲間であるとわたしに告げるのであった。
わたしにはどうしても、彼らが他人?のようには思えないのである。
親しい友人のようであり、古くからの知人のような、何とも親近感の持てる存在であると感じるのであった。
この感覚はわたしの辿り着いた「真実」であった。
わたしの中には霊に対する憶測が存在し、それはいつの間にかに飛躍していたところもあったであろう。
しかしながら、今のわたしには多少ではあるが霊に対する実感がある。
この実感がわたしの中の霊に対する恐怖心を完全に打ち砕くことになる。
霊の目的が愛情にあることを実感した今、彼らのことが可愛く見えて仕方がなかった。
一般的に霊を怖がり、邪険に突っ放している価値観の持ち主は皆、彼らが求めているものが苦しみなどではなく愛情であることを知らないのだろう。
霊が根本的に愛情を求めていることを理解できているのであれば、彼らのことは可愛く見えていても良いはずである。
しかし、怖がっているというのであれば、彼らに対する実感が薄いのである。
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