今になって思えば、彼らはわたしのことが怖かったのではないだろうか?
きっと、今までに何度も自分たちの苦しみを訴える機会はあっただろう。
しかしながら、そこに「思いやり」を以て接してくれた者はいなかたのではないだろうか?
初めの頃のわたしのように恐怖によって彼らの訴えを退けたのだろう。
一般的にはそうするだろう。
大抵の人物は霊が怖いはずであるし、人の苦しみなどわざわざ背負いたくないはずである。
そうでなければ、彼らが苦しみを苦しみのままで抱えているだろうか?
彼らのことを理解してくれた人物がいてもあの状況だったのかもしれないが、もしも、少しでも彼らに理解を示してくれる人物がいたのであれば、きっと彼らの状況はもっと改善されているはずである。
何となくではあるけれど、そのように感じたのであった。
人は予想だにしない展開に動揺する。
彼らは肉体を持たないにしても人である。
人の魂である。
いつもと違う状況や反応に対して、警戒心を以て動揺したのであろう。
そうでなければ、「思いやり」を以て彼らを受け入れようとしたわたしから逃げることはないのである。
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