人の感情というものは、決して直球勝負だけではない。
大抵の場合が変化球である。
悲しみが募れば怒りに変わり、怒りが募れば悲しみになったりする。
人は、人の感情とは勝手なものである。
寂しさの気持ちを抱える恋人の感情が、怒りに変わることがある。
どうして相手をしてくれないの?と不満を持つだろう。
悲しいから悲しい。
腹が立つから怒る。
そのように直球勝負なら簡単で良いが、大抵の場合はそんなに単純ではないし、そのままではいかないだろう。
感情も煮詰まるなら、味は変わるのである。
わたしの背中に覆い被さる者たちは、元々はきっと痛みや悲しみや寂しさを抱えていたはずである。
しかし、それらの感情が煮詰まった時、それは怒りへと変化していったに間違いないだろう。
わたしたちも痛みや悲しみや寂しさを抱えていると、やがて無意識の内にでもその苦しみから逃れようとして、それを生み出す(生み出していると思い込んでいる)対象である自分以外の存在に対して矛先を向け始める。
そうなれば、感情は別物へと変化していくのである。
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