わたしも霊を殴ろうとした。
しかしながら、それは彼らのことを敵や悪としてではなかった。
敵対心ではなく、恐怖や不自由から解放されるための自衛手段だったのである。
霊との関わりを実感として持ち合わせていなかったわたしは、自らの想像や世論や誰かの価値観によって「真実」を歪めていたのではないだろうか?
いや、歪めていたのである。
実際に霊たちと触れると、今まで所有していた価値観が余りにも身勝手なものであり、余りにも「真実」とはかけ離れていたものであることを理解することができた。
実感というものがこんなに大切だと感じたことはなかった。
人は大抵の情報を間接的な方法によって得ている。
誰かが言ったことは、ただ一つの価値観や感想であるにも関わらず、あたかもそれが「真実」であるかのように信じてしまう。
テレビで心霊番組を視聴した人は、霊のことを怖いと思うだろう。
あれは、そういう構成だからである。
怖がらせようとして作っているために、怖いという感想や価値観を植え付けられてしまうのである。
結局、実感以外には「真実」は存在しない。
大体、「真実」とは、己にとっての真実であるべきである。
しかしながら、多くの人は他人にとっての「真実」を己の「真実」として移植しているに過ぎない。
それは誤解を生み、歪んだ価値観を生み出してしまうのである。
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