このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2012年4月30日月曜日

追憶 69

「自分自身」を知ることによって、わたしは自らの進むべき道が見えるのではないかと考えるようになったのである。

思い返せば、高校の時にもわたしは同じような壁に向き合ったことがあった。
今回は抽象的ではあるけれど、一応の理想や希望は持っている。
しかしながら、当時のわたしにはこれから人生をどのように生きていくのか?そこで何をするべきなのか?ということは解決することができない問題であり壁であったのだ。
自らの生きる道を模索する時、「自分自身」という人生を生きる者のことを何も知らないのであれば、無限とも思える方法や方向性の中にそれを断定することなどできるはずもないのである。
わたしには「自分自身」が何者であるのか?という問いに対する答えが用意できてはいなかったのだ。
「自分自身」が何者であるのか?なんて、今までに考えたこともなかった。
わたしが自らの人生に悩み、退屈し、その意義を感じることができていなかったのは、その問いと答えが用意できていなかったからであろう。
夢や目標なんてなかった。
保育園の卒園文集を見ると、そこにはサッカー選手になりたいと書いてある。
しかしながら、それを自身は全く覚えてはいない。
いつの頃からかわたしの中には人生に対する夢や目標が失われていたのである。

2012年4月29日日曜日

追憶 68

わたしは自らの手法が必要を満たしてはいないのではないかと考えるようになっていた。

今まで続けていた方法に新たなエッセンスを加える必要があるような気がしていたのである。

しかしながら、それはあまりにも漠然としているものであったために、現時点では具体的な方法に辿り着くことはできなかった。

しかし、それではダメだと思い立ち、今の自分にできることやこれからの自分に必要であることを探した。

すると、一つの盲点に辿り着くことができた。

それは「自分自身」というものだった。

自らの人生、そこに生み出した感情、価値観、考え方。

自分自身のことについては何も知らなかったのである。

今までは一番近くで見て来たために、知ったつもりでいたのだ。

しかしながら、自分自身のことなど何も分かっていなかったのである。

今の自分にできることやこれからの自分に必要であることを何一つとして知らないのである。

2012年4月28日土曜日

追憶 67

それからのわたしは、以前にもまして瞑想に対して多くの時間を費やすようになった。


相変わらずの腰痛が許す限り、わたしは心を鎮め座るのであった。





腰痛は自然的に発生し、自然的に治まっていた。


痛みが完全に消え去るということはなく、右足は常に痺れているような状態ではあったものの、痛みが比較的に弱い時には仕事にも精を出していた。


しかしながら、無理をし過ぎると腰に限界がきて寝込むことになる。


横になり安静にしていることや鍼灸院で治療を受けることで、腰の痛みを何とか誤魔化しながら日々を過ごしていた。


そんな毎日の中、何時の間にかに金縛りには遭遇しなくなっていた。

金縛りにはなるようにと願いながら眠りに就くものの、「当たり」はパッタリとなくなっていたのであった。

まぁ、腰の具合が芳しくなかったのもあるので、金縛りどころではなかったではあろうが…

しかしながら、わたしはそこに寂しさや不安を感じることがあった。

理想としては、霊などの意識的な存在や世界を捉えるところにある。

その感覚がパッタリと止めば、理想から遠ざかることになり、そこに寂しさや不安が募るのは当たり前のことであろう。










2012年4月27日金曜日

追憶 66

わたしが自らの理想を実現させるためには、どうしても彼らと同じステージに立つ必要があった。


そのためには、自身の成長が必要不可欠であると感じた。


意識的な能力の成長に加え、人間的な人格の成長。


自分を中心とした全方向に対しての成長が必要であるだろう。


弱いままの自分では、例え幸運にも目の前にチャンスが巡って来たとしても、そのチャンスに応えることはできないのである。


わたしの目の前には常にチャンスが巡っているに違いないが、自身が未熟であるためにそれを掴むことができない。


弱い者は、どれだけの幸運を目の前にしても、それに応えることはできないのである。


彼らと向き合えた時間はわたしにとっての最大のチャンスだった。


しかしながら、わたしに何ができたであろうか?


何もできなかったのである。


すべては自身が未熟だからである。


弱いからである。


すべての原因は自らの中に存在しているのである。


わたしは自らの未熟さを痛いほど実感した。


このままではいけない・・・


成長しなければならないと強く感じたのであった。



2012年4月26日木曜日

追憶 65

わたしたちも何かに傷ついている時、急に優しさを投げ掛けられたなら、きっと動揺するであろう。

そこに警戒心を生み出してしまうかも知れないし、恐怖を覚えてしまうかも知れない。

優しかった人が急に怒り始めるのとは表現が反対ではあるが、それと同じことであるだろう。

彼らがここにとどまっていたとしても、わたしの力が彼らを救うことができたのかは分からない。

もしかすると、彼らはわたしでは力不足であると踏んだのかも知れない。

どちらにしても、わたしの中にはある種の「悔しさ」が残っていた。

彼らの力になりたいと願うものの、それが叶わなかったのは自らの未熟がもたらした結果であることは間違いない事実である。

それは後悔としてわたしの心を苦しめることになった。

苦しんでいる存在(霊、人、自然など)を救うまではいかなくても、何かの役に立つことはできるはずである。

しかしながら、今のわたしではそれすら叶わないのだから、同じステージには立てていないことになるだろう。

それは、自らの理想とあまりにもかけ離れているのであった。

わたしはこれから目指す道に否定されたように感じた。


2012年4月25日水曜日

追憶 64

今になって思えば、彼らはわたしのことが怖かったのではないだろうか?


きっと、今までに何度も自分たちの苦しみを訴える機会はあっただろう。


しかしながら、そこに「思いやり」を以て接してくれた者はいなかたのではないだろうか?


初めの頃のわたしのように恐怖によって彼らの訴えを退けたのだろう。


一般的にはそうするだろう。


大抵の人物は霊が怖いはずであるし、人の苦しみなどわざわざ背負いたくないはずである。


そうでなければ、彼らが苦しみを苦しみのままで抱えているだろうか?


彼らのことを理解してくれた人物がいてもあの状況だったのかもしれないが、もしも、少しでも彼らに理解を示してくれる人物がいたのであれば、きっと彼らの状況はもっと改善されているはずである。


何となくではあるけれど、そのように感じたのであった。


人は予想だにしない展開に動揺する。


彼らは肉体を持たないにしても人である。


人の魂である。


いつもと違う状況や反応に対して、警戒心を以て動揺したのであろう。


そうでなければ、「思いやり」を以て彼らを受け入れようとしたわたしから逃げることはないのである。

2012年4月24日火曜日

追憶 63

すると、明らかに空気が変わるのが分かった。


なんと言うか、場に動揺が生まれたようであった。


これはわたしの感情ではない。


明らかに彼らの感情である。


わたしの「思いやり」に対して、彼らは動揺したようであった。


わたしにはなぜそのようになるのかが分からなかった。


彼らが求めていたのは苦しみに対する共有と理解ではないのだろうか?

わたしの「思いやり」は、彼らの求めるものを満たすことができると信じていたが、そうではないのだろうか?

わたしはどうすれば良いのか分からなくなってしまった。

何をすれば彼らを救うことができるのだろう?

知恵を振り絞ったところで何も出て来はしなかった。

それに、わたしには時間がなかったのである。

彼らは、わたしの思いとは裏腹に急に去ってしまったからである。

あたしには彼らを追いかけることはできない。

プレッシャーからは解放されたものの、わたしの中には何やらしこりのようなものが残った。




2012年4月23日月曜日

追憶 62

わたしは彼らを心の底から助けたいと思った。

彼らの力になれるかは分からないけれど、自分にできることはやってみようと強く思ったのである。

わたしには、彼らがまるで自分自身であるかのように思えた。

彼らの苦しみが、どうしても他人事のようには思えなかった。

彼らを救うことは、自分自身を救うことである。

おかしな発想ではあるが、わたしはこの時本気でそう思ったのであった。

わたしは彼らの苦しみをこの胸に抱きしめようと心に決めた。

それがどれ程の苦しみであったとしても、それを抱きしめることができなければ彼らを救うことはできない。

わたしにできることは彼らの苦しみを共有し、理解することだけである。

この身体や心によって彼らの苦しみを抱きしめることでそれが可能なのではないかと直感的に思ったのである。

背中に覆い被さる彼らに対してわたしは無意識の内に構えていた警戒心を捨て去り、ゆっくりと心を広げた。

2012年4月22日日曜日

追憶 61

黒い者たちの煮詰まった感情は、それを理解してくれるであろう対象へと矛先を向けるようになった。

それが、意識的な感覚を所有する人間だということだろう。
そして、次の対象がわたしだったということである。
わたしは彼らがわたしを苦しめようとして近付いて来たのではないと感じていた。
彼らはわたしに自分たちの苦しみを理解して欲しかったのである。
心の中に「思いやり」を持っている今なら分かる。
彼らが欲しているのは理解なのである。
苦しんでいる人が一番して欲しいことは、話を聞いてもらうことだろう。
どのような苦しみを抱えていたとしても、話を聞いてもらうだけでそれはとても軽くなるものであるだろう。
そこに理解が加われば、苦しみは解決したようなものである。
わたしに覆い被さる黒い者たちは、わたしに理解を求めているのであろう。
自分たちが抱える苦しみを聞き、理解し、それから解放してくれるのを期待しているに違いない。
わたしたちも同じ立場なら、きっと同じように怒りの感情に支配され、怒りを以て八つ当たりしていることであろう。
抱える苦しみから解放されるには、その方法しか選択することができないであろう。

2012年4月21日土曜日

追憶 60

人の感情というものは、決して直球勝負だけではない。

大抵の場合が変化球である。

悲しみが募れば怒りに変わり、怒りが募れば悲しみになったりする。

人は、人の感情とは勝手なものである。

寂しさの気持ちを抱える恋人の感情が、怒りに変わることがある。

どうして相手をしてくれないの?と不満を持つだろう。

悲しいから悲しい。

腹が立つから怒る。

そのように直球勝負なら簡単で良いが、大抵の場合はそんなに単純ではないし、そのままではいかないだろう。

感情も煮詰まるなら、味は変わるのである。



わたしの背中に覆い被さる者たちは、元々はきっと痛みや悲しみや寂しさを抱えていたはずである。

しかし、それらの感情が煮詰まった時、それは怒りへと変化していったに間違いないだろう。

わたしたちも痛みや悲しみや寂しさを抱えていると、やがて無意識の内にでもその苦しみから逃れようとして、それを生み出す(生み出していると思い込んでいる)対象である自分以外の存在に対して矛先を向け始める。

そうなれば、感情は別物へと変化していくのである。


2012年4月20日金曜日

追憶 59

黒い者たちに対する好奇心は、彼らの目的を知りたいという欲求へと変化していった。

彼らは何がしたくてわたしに覆い被さっているのだろう?
何か訴えたいことでもあるのだろうか?
彼らはわたしにどうして欲しいのだろう?
わたしの中には様々な憶測が飛び交っていた。
そうしている内に、彼らが唱えているお経のようにも聞こえる悲鳴の中に、どことなく寂しさや悲しみが含まれているように感じられるようになっていた。
彼らは寂しいのではないか?
悲しんでいるのではないだろうか?
怒りを強く感じていた悲鳴は、もはや悲しみの悲鳴になっていたのである。
これはどういうことなのだ。
意味が分からなかった。
どうして怒りが悲しみに変わるのだろう?
怒りは怒りではないのか?
悲しみは悲しみだろう?
なぜ、感情が変化したのか、わたしには分からなかった。

2012年4月19日木曜日

追憶 58

「思いやり」によって後押しされる心は、恐怖心を完全に押さえ込んでいた。

背中に覆い被さる黒いものに対して、わたしは恐怖を感じることが明らかに少なくなっていたのだった。
今なら黒いものに対して恐怖ではなく、冷静さと純粋な「思いやり」を以て向き合うことができると確信した。
わたしは穏やかな心を以て背中に覆い被さる黒いものに意識を合わせようと試みた。
すると、徐々にではあるが、背中に覆い被さる黒いものの姿が見えてきたような気がしたのだった。
それは人間だった。
しかしながら、一人ではない。
正確には人間としての身体の部位が幾つも混在しているのである。
腕やら脚やら頭やら・・・
とにかく、人間の部品が一つの形に乱暴に詰め込まれているのであった。
それは吐きそうなくらいの気持ち悪さを抱えていて、お世辞にも心地のいいものではなかった。
しかし、今やわたしはそれをも上回る思いやりを所有しているのである。
人間の部品が集まったものに対する恐怖心や嫌悪感はなくなり、好奇心にも似た気持ちが生まれてきているのであった。

2012年4月18日水曜日

追憶 57

その光が見えたのは一瞬のことではあったが、わたしの心に残してくれたものはとても大きなものだった。

それは「思いやり」である。
なぜ、この状況で「思いやり」なのか?
わたしの中には小さな疑問が存在していたが、心の落ち着きからしてとても大切なものなのだろう。
このような状況においてはとても有効なのだろうと感じた。
わたしは一筋の光がもたらしてくれた「思いやり」を見失わないようにしっかりと抱え、背中に覆い被さる黒いものに向き合おうと心に決めた。
プレッシャーが強いときは、どうにかしてこの状況から逃げ出さなければならないと考えていたけれど、心の中に「思いやり」が現れてからは、逃げ出そうとは一瞬たりとも考えはしなかった。
これはもの凄い変化である。
そして、もの凄い発見である。
思いやりは恐怖心に勝るのである。
それに気が付いていない人は多いと言えるだろう。
大抵の人物が恐怖を感じる状況の中に思いやりなど見出すことはないであろう。
光がもたらした「思いやり」は、わたしを劇的に変化させることになった。

2012年4月17日火曜日

追憶 56

しかしながら、今のわたしにできることは何もなかった。



わたしが唯一選択することができる行動は、ただ耐えるということだけだった。


指一本も動かせない状況である。


わたしがどれ程足掻いても、どうしようもないのである。


背中を覆う黒い影は執拗にわたしにすり寄ってくる。


それは決して心地の良いものではなかった。


正直なところ、気分が悪くて吐きそうだった。


襲ってくるプレッシャーは次第に強くなる。


鼓膜は低い音をわたしに聞かせるのだった。


その時、わたしは自身の心の中に一筋の光を見た気がした。


気のせいかとも思ったが、気持ちが落ち着くような感覚がそこにあるため、きっと気のせいでも見間違いでもないのだろう。



2012年4月16日月曜日

追憶 55

鐘の音の間に人の声?が聞こえる。
それは、念仏のようだった。
地鳴りのように低い声が何層にも重なり、何種類ものお経を同時に唱えている。
それは、お経のようにも聞こえ、地獄の底から聞こえてくる亡者の悲鳴のようにも聞こえた。
その声?は強制的に頭の中に入ってくる。
鼓膜が限界まで張り詰めるような感覚に陥り、頭が割れそうに痛む。
目は閉じているものの、世界がグルグルと回っているようである。
わたしは無意識の内に恐怖なのか焦りなのか、この状況から抜け出さなければならないと強く感じていた。
それは、命を守るための本能的な働きではないだろうか?
直感がわたしに、このままではやられると告げるのである。
わたしの命は、どうにかしてこの状況から抜け出さなければならないと動き始めていた。
これは、命を守る闘いである。

2012年4月15日日曜日

追憶 54

胸を打つ鼓動は激しさを増し、音が外へと漏れ出しているのではないかと思える程に高まっていた。


鐘の音はまさにすぐそこにまで近付いていた。


次第に大きくなっていった鐘の音は、今では耳に痛い程であった。


まるで耳元で鳴らされているようである。


わたしがそれを不快に感じたその時、得体の知れない何かが急にわたしに覆い被さるようにのしかかってきた。


わたしは全身が激しく固まるのを感じた。


座っている状態でありながらも金縛りに合っているような不思議な感覚であった。


覆い被さる得体の知れない何かは、徐々に重さを増していく。


激しさを増す緊張感。


膨れ上がっていく危機感がそこにはあった。


わたしは動揺し焦っていた。

目は開かないが、わたしに覆い被さっているものが黒く破滅的な存在であることは理解することはできる。

それは、わたしを襲うプレッシャーが半端なものではないからである。




2012年4月14日土曜日

追憶 53

わたしはしばらくの間、鐘の音を観察してみることにした。


すると、わたしの感覚は決して間違ってはいなかったことを確信することができた。


やはり、鐘の音は少しずつではあるけれど、確実に大きくなっているようである。


それは鐘の音がわたしに近付いて来ていることを意味するものではないのか?


そう思った時点から、わたしの好奇心は緊張感へと形を変えるのであった。


乾いた鐘の音が一定のリズムを刻みながら確実にわたしに近付いて来ている。


鼓動が早くなるのを感じた。


不思議なことに目を開こうとしても、それは何かの力によって否定される。


そして、わたしは否応なしに鐘の音に集中させられるのであった。


先程よりも鐘の音は大きくなった。


感覚的には5m程後方から聞こえているような感じである。


緊張の糸が音を立てて張り詰めるのを感じた。



2012年4月13日金曜日

追憶 52

わたしは無意識の内に鐘の音に対して興味を抱いているようだった。


五感が回復すると、その感覚に引っ張られるのがよく分かった。


耳?に入ってくる音を心が無視することはできない。


否応なしにも意識が傾いてしまうのであった。


一定のリズムによって打ち鳴らされる鐘の音は、わたしの好奇心を大いに刺激した。


そうなると、鐘の音の出どころが気になってくるのが人の性ではないだろうか?


わたしは鐘の音がどこから聞こえているのかを探ってみることにした。


微かに聞こえる鐘の音を辿る。


すると、それは後方から聞こえているようであった。


多少の不気味さはあるものの、これと言ったプレッシャーは感じない。


むしろ、多少の不気味さがわたしの好奇心を刺激するのであった。

その時、わたしには一つ気になったことがある。

それは鐘の音が先程と変わっているように感じるのであった。

気のせいと言えばそれまでかも知れないが、ほんの少しだけではあるけれども、音が大きくなっているように思えるのである。






2012年4月12日木曜日

追憶 51

しかしながら、わたしの静寂は直ぐ様破られることになる。

しわ一つないワイシャツのように美しく張りつめた空気の中に、たった一本のしわが走る。
新雪に足を踏み入れるかのように、「音」がわたしの静寂を傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に横切った。
それは、とても小さな鐘の音だった。
仏壇にある鐘のように乾いた高い音だった。
それがどこからともなく聞こえてくるのであった。
とても小さな音ではあるけれど、わたしの儚(はかな)い静寂を切り裂くのには十分過ぎる力を持っていた。
それ程、わたしが探し求めていた静寂は繊細なのであった。
小さな鐘の音はわたしに五感を思い出させた。
思考が蘇生する。
わたしの頭の中はいつの間にかどこからともなく聞こえてくる小さな鐘一色になっていた。
思考の回復に伴い、空間認知能力が働き始める。
わたしはそれに気付かず、無意識の内に音の発生場所を探すのであった。
それはとても遠くの方から聞こえてくるようだった。

2012年4月11日水曜日

追憶 50

自らの内側に静寂を探す作業は、わたしの感覚を異様なまでに研ぎ澄まさせていた。

頭の中に飛び交う思考は窒息し、五感はその色を失った。
わたしの世界は崩壊する。
そこには無重力が存在していた。
わたしはただ真っ白な空間を漂っていたように思う。
記憶ではない。
これは感覚である。
頭では覚えてはいない。
覚えられない・・・
五感を超えた感覚に刻み付いた経験をつらねているのである。
とにかく心地よかった。
あれだけ痛かった腰が少しの悲鳴も上げないのである。
わたしの中に記憶としては残っていないが、それはまるで母の胎内にいるような安心感と心地よさなのである。
思考や五感が働かないというのはこれ程までに静かで穏やかなものなのであろうか。
わたしは一時の静寂にすべてを委ねた。

2012年4月10日火曜日

追憶 49

それからわたしは来る日も来る日も瞑想を続けていた。

どういう訳なのか金縛りに合うことは少なくなっていたけれど、霊の存在を感じ取る能力は少しずつではあるけれど強くなっているような気がしていた。



ある日の夜中、わたしはベットの上でゆったりと座って瞑想にふけっていた。

部屋の明かりはすべて落とし、外からの光もできる限り遮断した。

そうすることでより深い場所に辿り着けるような気がしたのである。

頭の中には相変わらずの思考や思い出だと思われる映像が不規則に飛び交っていた。

わたしは極力それらを無視し続けた。

無視を続けていると、ほんの一瞬だけではあるけれど、何にも無くなるような心地の良い時間が訪れることがあった。

それは静寂ではあるけれど、森の中にいる時のように命の鼓動を感じることもできる不思議な場所だった。

わたしにはその場所がやけに心地良かったのである。

何とかしてそこへ辿り着きたいと思っていた。

そのためには、不規則に飛び交っている思考や思い出だと思われる映像が邪魔だった。

それらを無視することによって、静寂へと続く扉が現れる瞬間を待ち構えていたのである。




2012年4月9日月曜日

追憶 48

彼らに近付く程に恐怖心は薄れ、親近感のような感情が湧いてくるのであった。



わたしは自らの内側を覗くことによって腰痛が治るのではないかと考えていた。

そして、その副産物として意識的な視点が生まれるのではないかと思っていた。

しかしながら、霊の存在を捉えた後もわたしの腰痛は続いているのだった。

これまでの二ヶ月間程、わたしは毎日暇さえあれば瞑想に努めていた。

瞑想をしたことで自らの内側を捉えられたかと言えば疑問である。

霊のことを見ることが出来るようにはなったけれど、自分自身の内側のことは何にも見えてはいなかった。

瞑想によって見えてくるのは、自らのどうでも良い考えや、不規則な思い出や鼻歌ばかりであった。

自分自身の心や人格を探すが、そんなものはどこにも見つからなかったのである。

わたしは計画の見直しを考えていた。

自らの内側に心や人格を探す必要などないのではないかと考えるようになった。

腰痛はとても辛いし、その苦しみから逃れたいとは思うけれど、今は霊を捉える意識的な視点を育てる必要があるのではないかと考えるようになる。

出来ないことを求めるよりも、出来ることをやっていく方が先決なのではないだろうか?

ふと、そう考えたことがあった。

わたしに出来ることと言えば、少しではあれど霊を捉えること。

それがとても大切であるように感じた。

わたしは、腰痛を治すという目的は一旦置いておいて、霊を捉える意識的な視点の成長に努めることにした。


2012年4月8日日曜日

追憶 47

わたしは自らの金縛り体験を通じて、自らの「真実」に近付いた気がしていた。
自分だけの「真実」は、霊は仲間であるとわたしに告げるのであった。
わたしにはどうしても、彼らが他人?のようには思えないのである。
親しい友人のようであり、古くからの知人のような、何とも親近感の持てる存在であると感じるのであった。
この感覚はわたしの辿り着いた「真実」であった。
わたしの中には霊に対する憶測が存在し、それはいつの間にかに飛躍していたところもあったであろう。
しかしながら、今のわたしには多少ではあるが霊に対する実感がある。
この実感がわたしの中の霊に対する恐怖心を完全に打ち砕くことになる。
霊の目的が愛情にあることを実感した今、彼らのことが可愛く見えて仕方がなかった。
一般的に霊を怖がり、邪険に突っ放している価値観の持ち主は皆、彼らが求めているものが苦しみなどではなく愛情であることを知らないのだろう。
霊が根本的に愛情を求めていることを理解できているのであれば、彼らのことは可愛く見えていても良いはずである。
しかし、怖がっているというのであれば、彼らに対する実感が薄いのである。

2012年4月7日土曜日

追憶 46

わたしも霊を殴ろうとした。
しかしながら、それは彼らのことを敵や悪としてではなかった。
敵対心ではなく、恐怖や不自由から解放されるための自衛手段だったのである。
霊との関わりを実感として持ち合わせていなかったわたしは、自らの想像や世論や誰かの価値観によって「真実」を歪めていたのではないだろうか?
いや、歪めていたのである。
実際に霊たちと触れると、今まで所有していた価値観が余りにも身勝手なものであり、余りにも「真実」とはかけ離れていたものであることを理解することができた。
実感というものがこんなに大切だと感じたことはなかった。
人は大抵の情報を間接的な方法によって得ている。
誰かが言ったことは、ただ一つの価値観や感想であるにも関わらず、あたかもそれが「真実」であるかのように信じてしまう。
テレビで心霊番組を視聴した人は、霊のことを怖いと思うだろう。
あれは、そういう構成だからである。
怖がらせようとして作っているために、怖いという感想や価値観を植え付けられてしまうのである。
結局、実感以外には「真実」は存在しない。
大体、「真実」とは、己にとっての真実であるべきである。
しかしながら、多くの人は他人にとっての「真実」を己の「真実」として移植しているに過ぎない。
それは誤解を生み、歪んだ価値観を生み出してしまうのである。

2012年4月6日金曜日

追憶 45

霊と関わることによって感じたことは、彼らは飢えているのではないか?ということだった。
ある者は愛情に飢えている。
ある者は優しさに飢えている。
ある者は安息に飢えている。
ある者は繋がりに飢えている。
様々なことに飢えているために、満たされていないのではないかと思うのである。
そして、耐えているのではないかとも思える。
ある者は痛みに耐えている。
ある者は孤独に耐えている。
ある者は怒りに耐えている。
ある者は苦しみに耐えている。
ある者は悲しみに耐えている。
ある者は恐怖に耐えている。
飢えと同時に耐えが彼らの中には存在しているのであろう。
そのために屈折するのだ。
それは、わたしたち人でも同じことだと言えるのではないだろうか?
何かに飢え、何かに耐えている時、わたしたちの心は満たされない。
心が満たされなければ、わたしたちの思考や感情は屈折してしまうだろう。
満たされない状況の中に、わたしたちは冷静さや穏やかさを保つことは出来ない。
それに、不可抗力によって引き起こされる状況や心境もあるだろう。
わたしたちは本当に怒りたくて怒っているのだろうか?
わたしたちは本当に悲しくて悲しんでいるのだろうか?
何かに満たされない時、感情が引っ張られるということがあるだろう。
わたしには、霊たちがどうしても誰かを困らせようとしているようには見えないのである。
人が悪霊や怨霊と呼ぶような「悪」は存在しないように思えるのである。

2012年4月5日木曜日

追憶 44

右手に意識が集中し始めると、わたしは拳を握り締めた。
彼らはわたしに覆い被さるようにしている。
見える訳ではないが、そう感じるのである。
わたしは握り締めた拳を放ち、この状況から何とか抜け出そうと考えていた。
しかしながら、わたしが自らの拳を使うことはなかった。
なぜなら、わたしが殴ろうとするより先に彼らは姿を消したからである。
わたしは金縛りから解放された。
本来ならば喜ぶべきことなのかも知れないが、今のわたしには嬉しいことではなかった。
金縛りから解放されたことは素直に嬉しかったが、わたしの心の中には疑問が生まれていた。
それは、彼らに対する対応がこれで良かったのか?ということである。
それは、彼らが深い苦しみと大きな悲しみを抱えていたことを理解することが出来たからである。
いくら霊体だとは言え、助けを求めて訪ねて来た者を邪険に扱い、更には突き放しても良いのか?
ということがわたしの中で引っかかっていたのである。
世間一般の価値観では、霊=怖いもの、もしくは悪いもの、という風潮があるだろう。
しかしながら、それは悪霊や怨霊などという言葉やイメージ、誰かの感想などによる先入観に他ならないのではないだろうか?
実際に自らが体験して感じたことは、一般的な価値観とはずれているような気がした。
わたしには、霊=怖いもの、悪いもの、という価値観以外に感じるものがあったのである。

2012年4月4日水曜日

追憶 43

わたしはこの状況を何とかしたいと考えていた。
どうすればこの金縛りから解放されるのかを思考した。
しかしながら、何のアイデアも浮かばなければ、答えなど見付かるはずもなかった。
しかし、わたしの心の中にはいつの間にかに思考を巡らす余裕が存在していることに気が付いた。
そのほんの少しの余裕が、彼らに対するわたしの変化を生み出していた。
それは、彼らに対する思いやりの気持ちであった。
先程まではただこの状況から逃げ出したい気持ちや恐怖心のみが心を支配していたが、今は自分のことに加えて彼らのことを気にすることもできていた。
この心境の変化には驚いた。
どこにこの心境の変化を生み出す要因があったのだろう?
わたしはそう考えようとしたが、直感がそれを阻止した。
思考よりも先に直感がわたしにその要因を伝えたのである。
それは、彼らの怒声や悲鳴などの苦しみの感情が、泣き声という悲しみの感情に変化したことによって生み出された心境の変化だった。
心境というよりも、状況的な変化と言っても良いかも知れない。
彼らには明らかに「隙」が出来ていた。
わたしは彼らを助けることよりも比重の大きかった逃避を選択した。
前回の金縛りの時と同じ要領で、右手に意識を集中させる。
この時のわたしは、力には力で対抗するしかないと思っていたのである。

2012年4月3日火曜日

追憶 42

わたしが精神的にも肉体的にも限界を感じたその時、金縛りの力がほんの少しだけ弱まった気がした。
そして、耳になだれ込んで来ていた怒声や悲鳴は泣き声に変わった。
とにかく悲しかった。
わたしはこの深い悲しみを一人で支え切ることは出来ないと感じた。
それはわたしが今までに体験したことのない程の深い悲しみである。
胸が引き裂かれそうだった。
肉体から心をえぐり出され、そのままそれを深い海に投げ捨てられるかのような悲しみを感じる。
とにかく、わたしは彼らのことを哀れに思った。
この深い悲しみの感情が彼らのものであることを理解しているからだ。
しかしながら、わたしにはそれをどうすることも出来なかった。
彼らに手を差し伸べることも出来なければ、
彼らの抱える苦しみの感情を解放し、悲しみを支えてやることも出来ない。
わたしは無力であった。
これ程までに無力なことが今までにあったであろうか?
手も足も出ないとは、正にこのことである。

2012年4月2日月曜日

追憶 41

わたしは「死」を感じた。
このまま死んでしまうのではないかと思った。
それはとても不安であり、とても怖く、とても苦しいものではないかと考えた。
わたしは死ぬのが嫌で仕方なかった。
きっとこの感情は、彼らの持っている感情である。
しかしながら、当時のわたしにはそれを理解する技量も余裕もなかった。
とにかく「死」から逃げたかった。
それだけだった。
相変わらず金縛りというものは肉体がピクリとも動かない。
動かないだけならまだしも、全身が強烈な力によって潰される。
それが恐怖心を助長してくる。
それにつられるようにして不安感が増せば、わたしは益々その状況から逃げ出したくなるのであった。
しかしながら、わたしを逃がすまいと潰す力は強くなっていく。

「やめろ!やめろ!!やめろ!!!」

声にはならなかったので、わたしは心の中でそう何度も必死になって叫んだ。
耳にはグチャグチャな言葉がグチャグチャになだれ込んでくる。
もう限界だった。

2012年4月1日日曜日

追憶 40

それは人の意思であった。
幾重にも重なる人の意思が、わたしの耳に触れたのである。
それは複数の人の叫び声が入り混じったものであった。
わたしは地獄というものは知らないが、絶望感と恐怖心と苦しみが混在するその意思は、まさにこれが地獄なのではないかと思わせる程に強烈なプレッシャーを持ったものだった。
何を言っているのかは分からないが、それが複数の人の悲鳴や怒声などが幾重にも重なったものであるということは分かった。
もうそこには男も女も無い。
そこにあるのは人間の苦しみだけであった。
それはわたしの頭をこじ開けて侵入し、すべてを強く揺さぶった。
わたしは目を閉じているにも関わらず、世界がグルグルと激しく回るのを感じていた。
わたしの心の中には、いつしか絶望感と恐怖心と苦しみが生まれていた。
そしてそれが無限に膨れ上がっていた。
とにかく怖かった。
そこから逃げ出したくて仕方がなかった。
わたしの心がその意思を否定しているのが分かる。
苦しみから逃れようとするのは、命の定なのかも知れない。