しかし、わたしが睡魔に襲われることがなかったのは、吐き気がわたしを襲っていたからである。
わたしは改めて事故のことを思い出していた。
考えてみると、道の駅の辺りから様子が違っていたのだと思う。
あの時、わたしは気怠さに付き纏(まと)われて休む他なかった。
あの時、休まなければわたしは映画館に向かっていたはずである。
その後の父からの電話。
そして、帰路での事故…
わたしはあの場所で、あの男性と事故に会うことが計画されていたのではないかと思えるほど、すべての状況がそこへ繋がってしまうのである。
わたしたちは事故に導かれたのであろうか?
起きたことは避けられないにしても、その意味を理解する必要があることは分かっているつもりだ。
事故に会うという”不運”があって終わりということではないのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿