電話を終えた後で、わたしはこの展開が予想通りだと思って笑った。
わたしはNのこともA子のことも心配はしていない。
それは、既に問題の原因を見せられていたからである。
”神”がわたしに問題の原因を見せるということは、最善のタイミングで仕事をするようになるということであろう。
この時点において、わたしはある種の結末を見ていたのである。
だから、NがA子の元へと駆け付けようとも、わたしには動揺が現れないのだ。
結末を知っているわたしが、A子の持つ霊的な問題によってNが危険に晒(さら)されるということに対しては、心配する必要などないのである。
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