このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2015年4月30日木曜日

追憶 962

男は偏見によって歪んだ選択をした。
それは、恨みという結果を導いたのである。
恨みの感情に至ることは正しい道のりではない。
それは、死後にいつまでもこの世とあの世との狭間に止まり、尚且つ苦しんでいるからである。
これがどうして正しい道のりであろうか?
どれだけのお金を用意されてもお断りである。
お金などの物質で死後の問題が解決するのであれば、それほど楽なことはないであろう。
男がどれだけの財産を持っていたかは分からないが、そんなものが役に立たなかったことは事実である。
どのように厳しく生きたとしても、偏見によって歪んだ選択をするのであれば、人が幸福を得ることはできないのだ。
男は武士として生きたのだから、それなりの克己心(こっきしん)を持っていただろう。
”普通”の人よりは、自分自身に対して厳しい生き方をしたはずである。

2015年4月29日水曜日

追憶 961

この男が生きていた時代は、現代よりもある種攻撃的な時代であったのではないだろうか?
現代よりも優れたところはたくさんあるには違いないが、現代の方が情報が多い分、偏見は少ないのではないかと推測する。
イメージとしては、武士は”頭が固い”というのがわたしの中にはある。
現代の思想体系が優れているなどとは決して思わないが、昔に比べると幾らかの柔軟性を持っていると思えるのだ。
現代のわたしたちが許せることも、男には許すことができないという可能性はあるだろう。
男は30代であろうか?
精神的な成長は人それぞれであろうが、現代よりも大人としての自覚があったであろう時代の30代が、簡単に恨みの感情に固執(こしゅう)するであろうか?
現代の人間でもそういうことはあるだろうが、特別なことがなければそうはならないだろう。
男が生きていた時代には、何かしらの衝撃的な出来事があったであろうが、それにしても、何かしらの偏見を所有していたことは事実であろう。

2015年4月28日火曜日

追憶 960

恨みは去った。
なんと心地の好い時間だろう。
やはり、人は心穏やかに在ることが最善であると思える。
恨みの感情などによる心の乱れは、苦しいものであると思えるのだ。
しかし、この男がそうであったように、多くの人が人生に対して心を乱している。
これは、以前のわたしにも言えたことである。
”自分自身にとって”は辛い体験を通して、人は心を乱してしまう。
方法が正しければ乱れない心も、その方法が正しくないために乱れてしまう。
この男に何があったのかは分からないが、体験に対する方法が正しくなかったと言える。
この男は、無知であったが故に苦しみを受けたのであろう。

2015年4月27日月曜日

追憶 959

男の頭上に吐き出されて集まった黒い煙のようなものからは、聞くに耐えない恨みの言葉の数々が発せられていた。
男はといえば、空洞のような黒い目と口をそのままに、抜け殻のように何の反応も示すこと無くそこに立っていた。
やはり、この黒い煙が恨みの感情の原因であると確信する。
わたしは再び光の十字架を作り出して、それを男の頭上の黒い煙のようなものに投じた。
光の十字架が突き刺さると、黒い煙のようなものからは低音の悲鳴のような音が上がり、沈黙すると同時にそれは無数の光の粒となった。
その時、天が開いて光の柱が降りた。
それに導かれるようにして光の粒は上昇し、やがて天の光と同化して見えなくなったのである。

2015年4月26日日曜日

追憶 958

光の十字架は神々しく輝いた。
その神聖な光にはいつも感動する。
それを掴むと、男に投じるべきだという思いが沸き起こる。
わたしは自分のするべきことを知っている。
それは、”神”がわたしに何をするべきであるのかを教えてくれるからだ。
光の線を残して飛んだ光の十字架は、音も無く男の額に突き刺さった。
男は耳を劈(つんざ)く悲鳴を上げた。
空っぽになった目と口からは、大量の黒い煙のようなものが吐き出されている。
光の十字架によって追い出されたのであろう。
これは、男の持つ恨みの感情の本質である。

2015年4月25日土曜日

追憶 957

男の心の状態が変化することによって、わたしは光の十字架を作り出すことができる。
その条件が整ったこと、その許可が下りたこと、そして、精神力の回復が実現したことを理解して立ち上がった。
男の表情は悲しみによって満たされていた。
わたしはそれを嬉しく思った。
それは、怒りの感情であっては、取り付く島もないからである。
相手が悲しみを抱えている状態であるのならば、怒りの感情を抱えている状態よりも、幾らか冷静であり、話を受け入れる可能性も高いのだ。
わたしは心の中で、男を助けたいという意思を告げて、空中に十字を引いた。

2015年4月24日金曜日

追憶 956

わたしは本気で可哀想だと思っていた。
「死んだ猫に同情してはいけない」と周囲の大人に教えられたが、わたしにはその意味が理解できない。
大人はわたしに逆恨みを買うなどと脅したが、助けてやるのが人情であり、人道なのではないかと思うのである。
それが人であっても同じであるだろう。
幼いわたしを守ろうとしての教えであったのかも知れないが、今となっては間違っていると思えるのだ。
苦しんでいる者を前にして自分の安否を優先することは、卑怯者のすることである。
今のわたしの心には、そのような考えは生じない。
わたしは助けるためにここにいるのである。
同情を続けていると、男の心にも変化が現れた。

「苦しい…辛い…悲し…い…」

男の訴えは恨みから、救済へと変化していたのである。

2015年4月23日木曜日

追憶 955


「憎ら…しい…憎…らしい…」

届いた言葉に対して、わたしは重たい顔を上げた。
そこには男が立っていたが、今はその表情を確認することができる。
男は涙のような黒い血によって頬(ほほ)を濡らしていた。
しかし、その眼球は無かった。
目は抉(えぐ)り出されたかのようであり、そこは黒い空間になっている。
わたしは男の痛々しい姿に同情した。
わたしは眼球を抉り出した経験は無いが、その痛みと苦しみは容易に想像する
ことができる。
きっと、想像以上の苦悩であるだろうが、精一杯の想像によって同情するのである。

2015年4月22日水曜日

追憶 954

一歩を踏み出すと同時に、恨みの刀が喉(のど)を突き刺したように思えた。
わたしは強烈な吐き気と同時に大量の黒い血のようなもので足元を染めた。
内蔵をすべて吐き出してしまうのではないかと思えるほどに、それが吐き出されるのである。
わたしの意思ではどうすることもできなかった。
吐き出すものが無くなった時には、苦しさの余りに膝(ひざ)を付いてしまった。
身体が鉛(なまり)のようである。
黒いものを吐き出すだけで、かなりの力を削がれてしまった。
わたしは全身で息をしながら、力が回復するのを待った。

2015年4月21日火曜日

追憶 953

そう思い、わたしは男に近付こうと踏み出した。
すると、背筋が寒くなるのを感じ、次の瞬間には全身を鳥肌が覆っていた。
どういう原理なのかは分からないが、頭のてっぺんまで泡立つのは霊的な時に限られていた。
わたしはそれ以上に歩を進めるのを躊躇(ためら)った。
それは、男の放つ恨みの感情が刀のように感じられ、それがわたしの喉元(のどもと)に突き立てられているような感覚を得たからである。
これ以上の接近を男は許してはいなかった。
わたしは考えた。
自分の目的は何だったのか?
それは、Nを守ることである。
そのためには、A子の問題を解決する必要がある。
そのためには、この男を恨みの感情から解放する必要があるのだ。
わたしは恐れに負けず、一歩を踏み出した。

2015年4月20日月曜日

追憶 952

恨みの感情によって縛られている者は、恨みの感情によって行為する。
恨みの感情による行為とは暴力である。
暴力によっては、破滅的な結果が得られる。
このかつては武士であったであろう男は、恨みの感情による影響力を以て、A子に対して何らかの行為に及んでいるのは明らかであった。
この男は、わたしがNとの通話の時に飛び込んで来たイメージである。
そのため、A子に対して最も強い影響力を持っていると推測することができるのである。
男は、今回の問題の核となる存在であるだろう。
この男の問題を解決することが、A子の問題を解決することになるのではないだろうか?

2015年4月19日日曜日

追憶 951

それは、今にも朽ち果てそうなぼろの着物を身にまとい、かつては髷(まげ)であったであろう乱れ髪を垂らした酷く痩せた男であった。
男は血走った眼光だけが生命力を発し、何を目的としているのか?ということは容易に読み取ることができた。
この男は強い恨みの感情を抱いている。
風貌(ふうぼう)からして、男はかつての武士であろう。
しかし、その威厳は今は見る影もない。
男は既に亡くなっているが、この恨みの感情によって縛られているのである。

2015年4月18日土曜日

追憶 950

霊的な存在と接していると、この感情に出会うことは良くある。
わたしは毎回、これを苦痛に感じる。
恨みの感情は、心が最も乱れた状態ではないだろうか?
その苦痛は不幸であり、それに触れるとわたしは不幸を感じるのだ。
何度受けても、これに慣れるということはなかった。
わたしは不快感を以て、その出処を探した。
すると、先程の破滅的な意識が存在していた場所に、明確な姿の人間が立っているのが分かった。
恨みの感情はそこから出ていた。

2015年4月17日金曜日

追憶 949

それは、わたしには判断が付かないからである。
何が正しいことであり、何が間違っているのか?ということは、わたしには分からない。
それを知っているのは”神”だけであろうし、大天使ミカエルを初めとする守護者の方が、愚かであるわたしよりも確実に、精度の高い判断ができるはずである。
そのため、この仕事に関してわたしには何の権限もなく、ただ従うことが重要なのである。
破滅的な意識が天に昇ると、気分の悪さは解消された。
しかし、それに代わって恨みの感情が湧き出てくるのを感じる。
これは、怒りのように突発的なものではない。
怒りの積み重ねによって、それが冷静さを帯びた状態とでも言うのだろうか?
激しく燃えていた薪(たきぎ)が、炭になってゆっくりと燃えるような感覚である。

2015年4月16日木曜日

追憶 948

わたしは精神的な働きによって、肉体的な拒絶反応を気にすることもなく、この状態を楽しんでいるのである。
気分の悪さと共にゲップが出るのも、肉体的な反応である。
破滅的な意識が取り除かれるまで、これは勝手に継続される。
わたしにはこの働きを食い止める術は無い。
そのため、これも肉体のなすがままである。
破滅的な意識は黒い煙のような姿をしているが、どういう原理なのかは分からないが、一旦わたしの体内に取り込み、後にゲップとして排出する。
わたしというフィルターを通して、何らかの作業を行っているのかも知れない。
わたしから吐き出された黒い煙に対して、わたしは光の十字架を作る。
それを黒い煙に投じると、それは光の粒となって天に昇っていくのである。
この一連の流れも、肉体的な反応であるために、わたしはその通りにさせているのである。

2015年4月15日水曜日

追憶 947

しかし、肉体の本能的な反応はどうしようもない。
自律神経はわたしの言うことを聞き入れないのである。
そのため、肉体的な反応を超越する精神力によって”気にしない”ことが必要である。
多くの人は肉体の本能的な反応によって判断を下すが、肉体を完全に扱うことは不可能である。
心臓の鼓動を止めることができるだろうか?
細胞分裂を食い止めることなどできないだろう。
人が霊的な存在から受ける印象に対する反応を無にすることはできないと思えるのである。
ポジティブであろうと、ネガティブであろうと、反応するのが自然なのである。
そのため、無理に反応を制御する必要もなければ、荒行(あらぎょう)などの”虐め”によって、感覚を殺す必要もないのである。
肉体が本能的な反応を示すのであれば、それはその通りにさせるべきなのである。

2015年4月14日火曜日

追憶 946

気分の悪さに対して意識を合わせると、それが部屋の隅のある一点に集中するような感覚を覚えた。
より集中を増すと、部屋の隅に黒い煙のような塊が浮かび上がった。
それは、何とも禍々(まがまが)しく、本能に従って警戒心が生じるのを客観した。
全身が泡立ち、寒気に襲われる。
これは恐怖の感覚である。
”普通”の人ならば、ここで逃げ出すに違いない。
しかしながら、わたしは”普通”ではないと勝手に思っている。
わたしにとっては、この状態は楽しみの一つなのである。
スカイダイビングや猛獣との戯(たわむ)れなどのは、”普通”の人ならば恐怖の対象であろう。
しかし、それを行っている人は楽しんでいる。
これと同じような感覚だと思うが、わたしは霊的な存在との命の駆け引きというものに対して、最高の快感を得るのである。

2015年4月13日月曜日

追憶 945

わたしは項垂れているA子からは多少離れた場所に違和感を覚えた。
これは感覚的なものではあるが、部屋の中心で項垂れているA子に対して、部屋の隅(すみ)にその違和感が存在しているように思えるのである。
どうしても、その違和感が拭(ぬぐ)えず、わたしの注意はそこへと向かうのであった。
部屋の隅に傾けられた意識によって、わたしは気分の悪さを覚えた。
強烈な吐き気がわたしを襲うのであった。
それは、まるで乗り物酔いのような苦しさである。

2015年4月12日日曜日

追憶 944

その次に見えたのは、項垂れてはいるものの、何の違和感もないA子の姿であった。
わたしは一段落が付いたと思い、深く息を吐いた。
しかし、わたしにはまだやらなければならない仕事があるはずである。
それは、NがA子の名前を出した時に見えた映像を、未だに体験してはいないということであった。
あの映像はわたしにとっては強烈な印象を残すものであった。
今回の問題に”あれ”が関わっていないということは有り得ないだろう。
そうでなければ、わたしがあの映像を見るということよりも先に、A子の背後に張り付いていた霊達のことを見るのではないだろうか?
わたしの中のこの疑問こそが、A子に対して気を抜かない理由なのである。

2015年4月11日土曜日

追憶 943

天から届く光が彼等を照らす。
光に照らされた彼等の顔は微笑んでいるように見えた。
わたしは彼等が軽くなるのを感じ、ゆっくりと力を緩める。
すると、それぞれの顔が苦しみの絆を離れて、光に導かれるようにして天に昇っていく。

「ありがとう」

わたしはそのように聞いた気がした。
すべての霊が光に溶け込んだと同時に天が閉ざされて、わたしは黒い視界に戻った。

2015年4月10日金曜日

追憶 942

上方に浮かぶ黒い煙のような塊に対して、わたしは光の十字架を投じた。
光の十字架が到達すると同時に、黒い煙のようなものは力を失い、大量の光の粒となって天へと昇っていった。
光の粒が天に帰ると、目の前には沈黙した顔だけの霊達が残されたのである。
それぞれの表情は落ち着いていて、まるで眠っているようであった。
わたしは愛情を抑えることができずに、霊達を引き寄せて抱き締めた。
すると、それぞれの閉ざされた瞼(まぶた)からは朝日に照らされた朝露のような美しい涙がこぼれたのである。
これを以て、彼等に対する仕事が終わったことを理解するのであった。

2015年4月9日木曜日

追憶 941

それに対して、わたしは気分が悪くなるのを感じたが、そんなことはどうでも良いのである。
わたしの目的は、この霊達を助けることであり、自分を守ることではないのだ。
黒い煙のようなものが一つに集まると、そこから恐怖の感情や悲鳴などが届いた。
これが、彼等を苦しめる原因であると言えるだろう。
彼等は、破滅的な感情によって苦しみの中に拘束(こうそく)されていたのである。
これは、自らの意思選択によって生み出した執着であり、状況なのである。

2015年4月8日水曜日

追憶 940

すべての顔が恐怖に震えた。
ネガティブな心がポジティブな状況を恐れるように、この霊達は光の十字架を恐れたのである。
わたしは光の十字架が霊達を助けることを知っていた。
そのため、怯える霊達のことが注射を怖がる子どものように見えて、微笑ましく感じたのである。
わたしは心の中で霊達に心配することなどないということを告げて、光の十字架を掴んだ。
更に怯える霊達を見て、彼等にはわたしの思いは届かないのだろうと思った。
それ程、霊達は深い闇の中に沈んでいるのである。
光の十字架を投じると、それは霊の塊(かたまり)の中に突き刺さった。
それと同時に恐れの感情が止み、それぞれの目や口からは大量の黒い煙のようなものが排出されるのであった。




2015年4月7日火曜日

追憶 939

悲鳴にも似た泣き声がわたしに届いた。
わたしの同情心は増すばかりである。
親指と中指によって指を弾けば、金平糖のような一粒の光が生まれる。
わたしが何度か指を弾くと、泣いている顔の集合体の周りを光の粒が囲った。
すると、光の粒によって照らし出されたすべての顔が泣き止んだ。
そして、目の前の光に対して唖然(あぜん)とした表情になったのである。
急に現れた光に対して驚きを隠すことができないようである。
人差し指と中指によって空中に十字を描く。
すると、辺りを照らす光の十字架が生み出された。
その輝きに気が付いた霊達の表情が、素早く恐怖に変わるのをわたしは見た。

2015年4月6日月曜日

追憶 938

わたしは破滅的な状態にある霊を嫌悪したことはない。
寧ろ、好感を持っている。
わたしがこの道を目指した動機は、霊が好きであったからである。
そのため、わたしが破滅的な意識に取り込まれるということはない。
多くの人が霊と聞いただけで恐怖し、嫌悪を以て拒絶するが、そのやり方では争いを生み出すだけであり、互いに苦悩の中に沈むことになるのである。
それでは、問題の解決には至らないのだ。
わたしが思いやりを以て向き合うと、すべての顔がわたしに向いた。
そして、そのすべての顔が涙を流し始めたのである。
わたしはとても可哀想に思い、より大きな愛情によって向き合うのであった。

2015年4月5日日曜日

追憶 937

苦悩に満ちた表情、怒りに満ちた表情、何かを企んでいるようににやけて笑う表情…
老若男女様々な顔は、ネガティブな目的のために集まったという一目で分かるような印象を放ちながら、A子に寄生しているのである。
わたしはそこに気分の悪さを感じた。
破滅的な意識に触れる時には覚悟が必要である。
破滅的な意識はその性質上、心を苦しみによって飲み込もうとするからだ。
それに飲み込まれないように努めなければならないのである。
苦しみに飲み込まれてしまえば、その対象を助けることはできないのである。
わたしの仕事はA子を助けることではあるが、それに関連する霊的な存在を助けることも大切な目的なのである。

2015年4月4日土曜日

追憶 936

次の瞬間、視界を真っ白な光が埋めた。
まるで光が爆発したようである。
それによって、破滅的な意識は大量の光の粒となった。
それを照らすように天が開くと、わたしは光の粒に息を吹きかけた。
すると、光の粒は一斉に天を目指すのであった。
光の粒が収まるのを待って、天はその扉を閉じた。
次に現れた視界には、A子の背中に寄生するものの姿が鮮明に示されていた。
それは、様々な人の顔が集まったもので、それぞれが様々な表情を浮かべているのである。

2015年4月3日金曜日

追憶 935

気分の悪さを覚えた時には、黒い煙のようである破滅的な意識を吐き出していた。
それは、ゲップや叫び声という形を取った。
胸を押し上げる黒い煙はとめどなく溢れ出て、目の前の空間を瞬く間に埋めていく。
視界が黒く染まる頃、吐き出される黒い煙はとまった。
それを見計らったように、わたしの人差し指と中指は差し出されて、空中に十字を描いた。
すると、それは黄金色に輝く光の十字架としての形を許されることになったのである。
光の十字架を掴み、それを目の前の黒い空間に投じる。
すると、光の十字架の放つ輝きは、ロウソクが寿命を終える時の炎のように力無く消えてしまった。



2015年4月2日木曜日

追憶 934

ただし、Nが何らかの危険に遭遇する可能性はある。
わたしの立場としてはNを守らなければならないが、それでも待つしかないのである。

しばらくして、わたしはA子の姿を見た。
これは、わたしの脳裏に勝手に流れ込んでくる映像である。
項垂れるA子の背中に、黒い影のようなものが張り付いているのだ。
それは、ネガティブな印象を放ち、A子に寄生している蛭(ひる)のような印象を受けた。
わたしは気分が悪くなるのを感じ、それと同時に仕事の開始を理解するのであった。

2015年4月1日水曜日

追憶 933

電話を終えた後で、わたしはこの展開が予想通りだと思って笑った。
わたしはNのこともA子のことも心配はしていない。
それは、既に問題の原因を見せられていたからである。
”神”がわたしに問題の原因を見せるということは、最善のタイミングで仕事をするようになるということであろう。
この時点において、わたしはある種の結末を見ていたのである。
だから、NがA子の元へと駆け付けようとも、わたしには動揺が現れないのだ。
結末を知っているわたしが、A子の持つ霊的な問題によってNが危険に晒(さら)されるということに対しては、心配する必要などないのである。