Nがわたしを嫌っているという事実は存在しない。
寧ろ、友人としての好意を持っているのではないかと思える。
そうでなければ、わたしたちが笑顔で会話をすることは無かったであろう。
わたしの抱えている猜疑心(さいぎしん)は、わたしとNのどちらからか生じたものによって覚えたものではない。
もしも、この感情がわたしとNのどちらからか生じたものであるのならば、もっと早い段階において表現されていなければおかしいのである。
この場には、わたしとN(とCさんとその他の人たち)を除く、第三者がいるはずである。
その第三者がわたしに対する嫌悪感を持ち、拒絶しているのであろう。
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