Yのように霊的な問題、もしくは、意識的、精神的な苦しみを抱えている人たちを助けたい…
それは、救われなかったわたし自身を救うためでもあった気がする。
自分自身の苦しみを取り除くために、人の苦しみを取り除くことを考えるのかもしれない。
動機は様々な方向性を以てわたしを後押しする。
それは、わたしに使命感を与え、強くしてくれるような気がした。
「何かをやろう」という希望ではなく、「それをやらなければならない」という決意として、わたしの意思を高めた。
わたしが霊的、意識的、精神的な存在や問題と向き合うことは、わたしにしかできない方法によってそれと向き合うことができるということである。
その問題を解決することができるかどうかは正直なところ分からない。
しかし、わたしにはわたしにしかできないことがあるはずである。
それがどのような形になるのかはこれからの話である。
とにかく、わたしの意識が自分自身だけではなく、それ以外に向いてきたということが重要なのであろう。
長らく忘れてはいたが、KとYの状況がわたしの今を支えてくれているのは事実である。
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