このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2013年1月31日木曜日

追憶 345

車内に広がるオレンジ色の光が小さな安心感を与えてくれているうちに、わたしはポケットをまさぐって携帯電話を取り出した。
助手席に放ってあるナイロンのジャケットを手に取ると、ルームランプを切って車外へと飛び出した。
外は本当に暗くて、何と無く物の形が掴めるほどの明かりしかなかった。
見上げるほどの古い樹木が空を覆う。
それでも、空は微かに明るく、樹々の枝葉をわたしに教えていた。
携帯電話の液晶画面の明かりがわたしの命綱である。
当時の携帯電話は照明機能が付いてはいなかった。
そのため、頼りない画面の明かりで進むしかなかったのである。
懐中電灯を持ってくれば良かったが、忘れてしまっていた。
しかしながら、頼りない携帯電話の明かりも無いよりはましである。
それに、この方が大自然の夜を味わうことができる気がして風情があった。

2013年1月30日水曜日

追憶 344

目の前の看板には、キャンプ場の案内が絵によって分かりやすく描かれている。
風雨に晒されているために色あせているのが物悲しさを誘うようで良い雰囲気を醸し出す。
わたしは車のエンジンを止めた。
ヘッドライトが消えると、辺りには少しの光も存在していなかった。
エンジン音の無くなった車内が外の静けさを取り込む。
静寂に包まれると、わたしの鼓膜は耳鳴りにも似た甲高い音を拾う。
暗闇に目が慣れるのを待つが、それは無駄な時間だったようである。
網膜がいくらピントを合わせても、取り込む光が無いのだから何も見えない。
そのくらい、深い暗闇の中にわたしはいるのである。
わたしは手探りでルームランプを点けた。
車内は電球の優しいオレンジの明かりで包まれた。

2013年1月29日火曜日

追憶 343

ヘッドライトを頼りにしばらく走ると、開けた場所に出る。
狭い道にキャンプ場の駐車場が合わさるために、道が広くなったと感じるのである。
そこから、100mくらい進むとキャンプ場の管理施設がある。
その周辺の川原や敷地でキャンプを楽しめるようになっているのであった。
真っ暗な駐車場をヘッドライトが照らすと、そこには二台の車が浮き上がった。
その光景に、わたしは心のどこかで安心感を覚えるのを感じた。
それ以外の車は見当たらない。
山側の少し高い場所にもう一カ所駐車場があるが、見たところそこに車が停まっている気配はなかった。
きっと、これがKたちの車であるだろう。
それにしても、車が二台しか停まっていないということは、人数が集まらなかったということだろうか?
まぁ、人数の問題ではない。
大切なのは雰囲気である。
わたしはキャンプ場の入口の看板の前に車を停めた。

2013年1月28日月曜日

追憶 342

車を走らせると民家はなくなり、川に沿って伸びる細い道に出る。
車ではすれ違うことのできないような狭い道である。
道の両側からは樹木がお生い茂り、その枝葉が空を覆ってまるでトンネルのようになっている。
この道はわたしの幼い頃からのお気に入りである。
窓を開けて走ると、川の流れを聞くこともできるし、何よりも昼間の木漏れ日の美しさに感動するのであった。
この道はわたしの心を洗い清め、純粋な子どもの頃に戻してくれるような力を持っているのである。
しかしながら、夜はその光景が一変する。
お生い茂る樹木は星の光を奪う。
真っ暗な道は寂しさを誘った。
心細い道を車のヘッドライトが照らし出すのが唯一の救いである。
光に向かって進めば、わたしは皆の所に辿り着くことができるはずである。

2013年1月27日日曜日

追憶 341

お目当てのジュースを一本買うと、その場で早速開封して口を付けた。
冷えたジュースが喉を通ると、身体が水分を求めていたことを実感することができた。
わたしは半分を一気に飲み、大きく息をしてから車に乗り込んだ。
さっきの少女のことが気になっていたのだろう。
車に乗り込んでからも少女が消えた自動販売機の裏が気になって仕方がなかったのである。
わたしはクリープで車を走らせながら、自動販売機が視界から消えるまで見続けていた。
結局、あの少女が何であったのかは分からなかった。
可能性があるとすれば単なる見間違いか、霊を見たのであろう。
わたしは普段から霊に会いたいと思っているので、霊に遭遇しても怖くはなかった(本能的な恐怖心や危機感はあるが、それよりも好奇心や興味の方が勝った)が、その霊に遭遇したという感覚もなかったのである。
何と言うか、自然だったのである。
目の前に人がいるというごく自然な感覚だ。
しかしながら、あそこまではっきりと見間違えるだろうか?
経験上それは無いと断言することができるだろう。
それは、少女の動きが想像力よりも勝っていたからである。
今までにここまで鮮烈な見間違いは無かった。
もしかしたら、今回が初めての形の見間違いだったかもしれないが、そこには自分以外の人の気配があったと思えてならなかったのである。

2013年1月26日土曜日

追憶 340

「変な奴だなぁ。後ろに隠れるかよ、普通…」

などと小さくつぶやきながら自動販売機へと向かった。
自動販売機の後ろには小さな畑があり、その畑に繋がるようにして民家の敷地がある。
わたしが見たのは白い服を着た髪の長い少女であった。(と思う)
もしかしたら、その民家に住んでいる子がジュースを買いに来て、わたしを見て怖くなって家に帰ったのではないだろうか?
わたしは、「何か悪いことをしちゃったなぁ…」などと思いながら、少女が隠れた?自動販売機の後ろを覗き込んだ。
しかしながら、そこには誰もいなかった。
いや、いるはずもなかったのである。
なぜなら、そこは畑と自動販売機を仕切るように網が張っていたからである。
人が入り込めるスペースは見当たらない。
わたしは目の前の光景に一瞬考えたが、考えても結論に至りそうにもなかったので、その思考をすぐに捨てた。
きっと見間違いであろう。
少女の白い服はぼやけていたので、自動販売機の明かりをそれと見間違え、髪の毛の黒は背景の闇夜がそう見せたのだろうということで落ち着けた。

2013年1月25日金曜日

追憶 339

小銭を握りしめて車を降りると、ひんやりとした空気がわたしの腕を撫でた。
寿司屋を出る時にも夜風の涼しさを感じたが、山のそれは一段と涼しさを感じるものであった。
自動販売機の近くには民家が二、三軒あるだけで、後は田畑と川が流れていた。
聞こえてくるのは川のせせらぎと蛙(かえる)や鈴虫などの昆虫などの鳴き声だけである。
それらの音が夜風を更に涼しくしているようであった。
とても心地好い気分である。
自動販売機にはたくさんの昆虫が群がっていた。
わたしは自分自身も自動販売機の明かりに引き寄せられる昆虫たちと同じだと思い、その光景を笑った。
その時、ふと自動販売機の横に人が立っているのを見た。
そして、次の瞬間にはその人は自動販売機の後ろに隠れるようにして姿を消した。
わたしは近所の人がジュースでも買いにきたのかな?と思った。

2013年1月24日木曜日

追憶 338

しばらく山道を走ると、山間部の小さな集落に辿り着く。
旧道は細い路地で、商店街のような作りになっている。
そこには人々の暮らしがあった。
わたしが走るのは新しく整備された道で、民家を迂回するように作られている。
田畑を挟んだ向こうの暗闇にぽつりぽつりと浮かぶ民家の明かりを眺めながら進んだ。
集落とは反対側の田畑と川を挟んだ向こうの山の麓(ふもと)に、使い道に困る程に新しく立派な小学校がある。
その校庭の隅を照らすように街灯が一生懸命に仕事をしているが、その仕事に意味があるのだろうか?
そんなことを思いながら大きなカーブを過ぎると、自動販売機の明かりが視界に飛び込んでくる。
わたしは喉の渇きを覚えたのと、小さな安堵感を得たような気がして車を止めた。


2013年1月23日水曜日

追憶 337

目的のキャンプ場は高知県の山奥にある。
わたしの住む、愛媛県宇和島市津島町から高知県の宿毛市に抜ける山道があるが、その山の頂上にそのキャンプ場はあるのであった。
キャンプ場の周囲には民家もなく、国有林にも指定されている手付かずの自然が残る良い場所であった。
わたしの住む津島町から近いこともあって、幼い頃から良く遊びに行ったものである。
車を走らせると民家の数は時間の経過と共に少なくなる。
田畑が広がる風景が杉林に変わると、夜の深さが一層増すように思えた。
夜空には星は無く、ただの黒が広がっていた。
ヘッドライトが照らし出すアスファルトの白線を頼りに進む。
白線を見失えば、夜の深さに迷ってしまいそうである。
夜の暗い山道はそんな心細さを覚えさせる寂しい場所である。


2013年1月22日火曜日

追憶 336

店を出ると、夏の日差しに焼かれたアスファルトと土の匂いと共に、それを冷ます心地好い夜風が頬に触れた。
外は別世界であった。
景色は夜の黒が支配し、すべての輪郭を溶かしていた。
石も、木も、草も、建物も、空も、その境界を黒が塗り潰していくようであった。
その夜の黒を申し訳なさそうに退かす街頭の光が自らの足元だけを小さく照らしている。
わたしはその光景にため息を吐いたが、そのため息も夜の帳がすぐに覆い隠すようであった。
時間が遅くなってしまったことを少しだけ反省すると、わたしはすぐさま夜の闇の深さに興奮を覚えた。
今頃、皆は焚き火を囲んでコーヒーや酒なんかを飲みながらいろいろと語り合っているに違いない。
そう思うと素敵である。
わたしは一刻も早くその語らいに参加したくなって、ハイラックスサーフのイグニッションを回すのであった。

2013年1月21日月曜日

追憶 335

美味しい食事と楽しい会話があれば、素敵な時間はたちまちに過ぎ去る。
気が付けば時計の針は20時を過ぎていた。
寿司屋からキャンプ場までは山道を30分近く走らなければならない。
今から出ても到着が21時近くになるだろう。
宴会場から外の気配をうかがい知ることはできないが、既に空の青は黒に塗り潰されているはずである。
打ち上げは楽しいものであったが、Kたちのことが気になったのでここらで切り上げることにした。
わたしは皆にこれからキャンプに参加する趣旨を伝えて会場を後にした。
わたしは酒が飲めない。
酒の席は好きだし楽しいが、酒の味と体質的にそれを受け付けないのである。
だから、今回も酒は飲んではいない。
これから車を運転するというのだから、飲まないのは当たり前の責任であるから、当然と言えば当然である。

2013年1月20日日曜日

追憶 334

総会の間もわたしの心はキャンプに捕われてしまっていた。
どのくらいの人数が集まったのかは分からないが、それを創造するだけでも楽しかった。
また、皆は昼間から川で泳いだり、バーベキューなどをして楽しんでいるはずである。
楽しんでいるであろう様子を思うと、自分の姿がもどかしく感じるのであった。
総会は何事も無くスムーズに終了した。
打ち上げが同町の寿司屋であるということなので、出席者は各自お店に向かった。

寿司屋に到着したのが19時を少し過ぎた頃であった。
夏の19時なので、遠くの空にはまだ微かに青が残っていた。
その青がわたしをキャンプに誘うようであった。
しかしながら、打ち上げには美味しい食事と楽しい会話が待っていることも知っている。
総会の時にはあれ程行きたがっていたキャンプへの気持ちが、打ち上げを前にして少し揺らいでいることに気が付いてはいたが、わたしはキャンプに行くという本来の目的を忘れないように心掛けるのであった。

2013年1月19日土曜日

追憶 333

後日、予定を確認すると、Kが予定した日は生憎なことに養殖漁業後継者の総会があり、わたしもそれに参加しなければならなかった。
わたしはそれをKに伝えて、キャンプには総会とその打ち上げが済み次第参加することに決めた。
Kはそれを快く了解して、わたしたちは電話を終えた。

キャンプ当日、仕事を終えて帰宅したわたしは、総会に参加するためと、その後のキャンプに参加するための準備を始めた。
キャンプの準備といっても別に大層なものではない。
キャンプ場が山頂の河原にあるため、真夏であるにしても寒いことを見越して防寒着を用意するだけなのだが、わたしにとってはそれがとても楽しく、そして重要なものであったのである。
当時、わたしはトヨタのハイラックスサーフという車に乗っていた。
防寒着を助手席に投げ入れて運転席に乗り込む。
エンジンをかけて時計を確認する。
総会には十分過ぎるほどの時間があった。
しかしながら、わたしはそんなことは気にせずに車を走らせた。
わたしはキャンプが楽しみでワクワクしていることに気が付いていた。
気分が高揚して浮き足立っているために、時間を目一杯に使うことができないのであろう。

2013年1月18日金曜日

追憶 332

携帯電話が水を得たように喚(わめ)き、わたしを催促した。
液晶にはKの名前が表示されている。
わたしにはなぜかその名前が胸を張っているように見えた。
楽しそうな電話の予感がして、わたしは携帯電話に応えるのであった。
案の定、携帯電話からは弾む声が聞こえてきた。
Kはいつも楽しそうである。
軽い馬鹿話をした後で、Kが本題を切り出した。
それはキャンプの日程が決まったというものであった。
わたしは突然の知らせに驚いたが、それはすぐに高揚へと導かれた。
参加者もある程度呼んだし、道具も揃えたから、わたし自身の予定を組めとのことだった。
昔から行動力のある奴ではあったが、もう少し何らかの相談でもあるものだと思っていた。
Kのおもしろい部分が見えて、わたしはより楽しい気分になった。
それから、わたしはキャンプの予定日を聞いて電話を終えた。

2013年1月17日木曜日

追憶 331

ある時、Kは仕事の合間にわたしに会いに来ては、互いの近況や世間話をするのであった。
わたしにとってもその時間はとても楽しかったために、ついつい話が長くなってしまう。
Kは時々中学の頃の話を持ち出す。
その中でも、夏休みに担任の教師に連れられて出かけたキャンプのことを楽しそうに話す。
中学三年生の時の担任は、美術教師でありながら体育会系のノリのある楽しく頼もしい人物であった。
わたしも彼のことが大好きであったし、卒業後も交流があった。
Kも彼のことが大好きであったのだろう。
社会人になった今でも彼のことを頻(しき)りに話す様子から、彼への尊敬がうかがえる。
Kは中学三年の時のように同級生たちを呼んでキャンプがしたいとわたしに提案した。
叶うことなら当時の担任も呼びたいと言う。
わたしもキャンプは好きであったし、当時の同級生たちや担任とのキャンプはわたしにとっても特別なものになるのではないかと、期待が膨らむのを感じていた。
わたしはKの希望を叶えたいと思った。
それが単純に楽しそうであったからである。
Kはいつかみんなでキャンプがしたいという希望をわたしに手渡して仕事に戻った。

2013年1月16日水曜日

追憶 330

二人はそんなことを知る由もないが、わたしが霊的な世界や存在に興味を示し、その道を進みたいと思った動機の一部として二人の存在は大きいのである。

わたしが愛媛に帰ってきて実家で養殖の仕事を始めた時、Yは徳島で仕事をしていた。
徳島と愛媛で会うことは無かった。
わたしの性格的に連絡を取るということもなかったので、Yのことは噂程度に耳に入る程度であった。
その時Kは地元にいて、地元の企業に就職していた。
そのため、Kは近くで仕事があれば連絡をよこしては一時の話に花を咲かせたものだった。
中学生の時のわたしは霊的な存在を認識することはできなかったが、今ではそれらを幾らかは認識することができていた。
白龍神(北灘湾の神様)やハクとコン(狐の神様)なども身近にいたので話題は豊富である。
そんな話をすると、Kも目を輝かせたものである。
そして、Kとは別々の高校に通うようになり、卒業後にわたしが東京で暮らしていて会わなかった間の霊的な体験談を話して聞かせてくれた。
わたしたちはそんな話や仕事の話など、他愛もない話で盛り上がったものだ。
Kはわたしに会う度に中学校生活を懐かしんだ。
わたしたちの共通点が中学の三年間が同じクラスであったこともあるのでそうなるものだとは思っていたが、どうやらKにとっては中学の頃の記憶がとても楽しい思い出として残っているようだった。

2013年1月15日火曜日

追憶 329

Yのように霊的な問題、もしくは、意識的、精神的な苦しみを抱えている人たちを助けたい…
それは、救われなかったわたし自身を救うためでもあった気がする。
自分自身の苦しみを取り除くために、人の苦しみを取り除くことを考えるのかもしれない。
動機は様々な方向性を以てわたしを後押しする。
それは、わたしに使命感を与え、強くしてくれるような気がした。
「何かをやろう」という希望ではなく、「それをやらなければならない」という決意として、わたしの意思を高めた。
わたしが霊的、意識的、精神的な存在や問題と向き合うことは、わたしにしかできない方法によってそれと向き合うことができるということである。
その問題を解決することができるかどうかは正直なところ分からない。
しかし、わたしにはわたしにしかできないことがあるはずである。
それがどのような形になるのかはこれからの話である。
とにかく、わたしの意識が自分自身だけではなく、それ以外に向いてきたということが重要なのであろう。
長らく忘れてはいたが、KとYの状況がわたしの今を支えてくれているのは事実である。

2013年1月14日月曜日

追憶 328

わたしが何かを継続し、達成することができなかったのは、それが自分のためだったからである。
自分のためのことだから、好きに力が抜ける。
自分のためのことだから、好きな気分でいられる。
自分のためのことだから、好きな時に諦められるのである。
わたしは自分のことだけを考えると怠慢になり、傲慢になってしまうのだろう。
自分以外の人や何かのための動機を持つことが求められる。
自分のことには甘えが生まれるけれど、それが人のことであるのならば、容易には甘えることができない。
人は自分以外の人や何かのために動く時、より多くの責任感が生み出されるのではないだろうか?
自分のことなら妥協することもできる。
しかし、それが人のことなら難しい。
少なくともわたしはそのような性格なのである。
そのため、自分の幸福を追求する時よりも、人の幸福を手助けする時の方が力が出せるような気がするのである。
Yのように霊的、精神的、意識的に困っている人の役に立つことができれば素敵である。

2013年1月13日日曜日

追憶 327

これまでの20年を通じて、自らのその方法(生き方)が何も残していないということは理解することができた。
そんなことに気付くのに、20年もの時間を有してしまったのである。
だからわたしは、その失敗を繰り返す訳にはいかなかった。
しかしながら、どのように頑張っても、人のやり方を真似しないという自分のやり方を変えることはできそうもなかった。
変に頑固である。
そのため、わたしが何かを成すためには不機嫌にならない、不貞腐れない、諦めない、というところを変える必要があるのだった。
そこを変えることができなければ、わたしはこの先もずっと変わることはできないであろう。
このままずっと、うだつの上がらない人生を生きていくなんてことは絶対に嫌である。
わたしは負け犬の様に生きていきたくはないのである。
これ以上、人に迷惑をかける様には生きられない。
今まで散々人に迷惑をかけてきた分、その借りを返さなければならないのである。

2013年1月12日土曜日

追憶 326

その直接的な力を得ようとするのが、今のわたしの試みなのである。
人の話が聞けない意固地なわたしは、人のやり方を実践することはできないであろう。
霊的な問題を解決するにしても、自分自身に合った、自分自身だけのやり方があるはずなのだと信じているのである。
わたしの頭の中には、既に誰かが確立しているやり方を真似しようとする考えは全くなかった。
とにかく、自分自身の内側に存在しているであろう「自然的な力」を使うことが必要だとする考えしか持つことができなかったのである。
何事も人に教えてもらえば手っ取り早いだろう。
だけど、人のやり方に魅力を感じることができないのである。
思い返すと、わたしはいつの時も自分なりのやり方を探し求めていた。
その代わり、人のやり方に従わないからうまくいかないことが多かった。
うまくいかないことには不機嫌になり、不貞腐れる。
そして、飽きるのである。
それが積み重なって、今のわたしがいる。
人の話ややり方を聞き入れることができていたなら、わたしはもっと柔軟でいろいろなことを吸収することができていたかもしれない。

2013年1月11日金曜日

追憶 325

建設的でポジティブな人と一緒にいれば、自身も建設的でポジティブな気分になれる。
破滅的でネガティブな人と一緒にいれば、自身もそれと同じように破滅的でネガティブな気分になってしまうのである。
健康的な食事や生活をしているのであれば、人は健やかに生きることができる。
不健全な食事や生活は人を病気に負ける確率を高めるのである。
病気になってしまった人を教育だけで救うのには無理があることは理解することができるだろう。
何らかの薬や手術などの直接的な治療を施す必要がある。
教育というものはソフトな力である。
予防策や回復には役立つが、根本的な病気(問題)の解決には役に立たない。
病気を解決するのは薬や手術などの直接的でハードな力なのである。
言うだけではどのような問題も解決しない。
問題を解決するためには、その解決策を実際に行わなければならないのである。

2013年1月10日木曜日

追憶 324

その影(苦しみ)を取り除くためには、道徳的な教育、精神的な安らぎは必要である。
しかしながら、道徳的な教育(知識)だけで取り除くことができるほど、その影、人の苦しみは優しいものではないのである。
もしも、道徳的な教育だけで人を救うことができるのであれば、わたしの心が影を背負い、苦しむこともなかったであろう。
もちろん、Yも精神的に滅入ることもなかったであろうし、保健室登校もしなくて済んだのではないだろうか?
もちろん、教育だけで救われる人もいるだろうが、わたしはそうではなかった。
人の心は意識である。
それは意識的な影響力に囲まれている。
人の意思や霊的な存在などの目には映らない意識的な影響力を受け続けている。
建設的で、ポジティブな意識からの影響力は、人の心やその状況をより豊かなものにしていく。
破滅的で、ネガティブな意識からの影響力は、人の心やその状況を乏しいものにしていくのである。
これは、肉体的、物質的な動きと全く同じである。

2013年1月9日水曜日

追憶 323

高校を卒業したわたしとYは、違う目的を持って同じように上京した。
東京生活が始まってから会う機会はめっぽう減ったが、時々会って近況を報告し合ったものである。
結局、Yの霊的な状況は変わっていないようであった。
わざわざその話題に触れることはなかったが、何かを見たような話は時々聞かせてくれた。
宗教の力では、Yの霊的な状況を解決することはできなかったのだろう。
Yが宗教に対して求めていたものが、霊的な状況の改善なのかどうかは分からないが、宗教とはある種の道徳教育であり、その宗教が掲げるより幸福に生きるための知識を教える場所なのだなと思った。

Yにはいつも影が垣間見えた。
それは、直感的、第六感的に捉えるような感覚である。
説明はできないが、いつもどこか危ういような感じがするのだ。
霊的な存在に取り憑かれているような、そんな変な違和感なのである。

2013年1月8日火曜日

追憶 322

しかしながら、わたしにはそれができなかった。
幼い頃から人に甘えられないのである。
人に甘えることに対して、どこからともなく違和感や罪悪感にも似た感情が沸き起こるのである。
なぜそうなるのかを説明することはできない。
勝手にそうなってしまうのであった。
この性格のおかげで、わたしは人の言うことを聞かない悪ガキになってしまった。
今では、自らの行いを反省して「いい子」になろうとしているが、自分自身の人に甘え、頼ることのできない気質は変えられないような気がしてならない。
高校生だった頃のわたしも、結局は人の言うことを聞くことができなかった。
宗教の人たちは道徳的なとても良いことをわたしに言ってくれたかもしれない。
しかしながら、わたしにはそれが窮屈に思えてならなかったのである。
今になって思うと、わたしは人の言葉ではなく自分自身で失敗し、苦悩する必要があった…
一生そうしていく必要があるのではないかと思っている。

2013年1月7日月曜日

追憶 321

宗教が悪いとは思わない。
それが心の支えとなり、豊かな時間を得ている人もいるであろう。
ただ、わたしには個人的に合わなかっただけである。
何と言うか、わたしにはそこにいる人たちが宗教に依存している姿が少し異様に見えてしまったのだ。
熱心なのは良いことであるが、熱心過ぎるというか…
自分の経験から派生した自然的な考えではなく、その宗教の教えをそのまま自分の考えにしてしまうような…
個を殺してしまう全体主義的な考えがあるような気がしてならなかったのである。
わたしは自分自身という存在を殺したくはなかった。
こんな自分自身でも、自然体が良い、自分自身の考えが良いと叫ぶのであった。
苦しいことがあっても、それを自分の力で乗り越えていくことが重要だと、どこかで思っている自分がいる。
わたしは不器用な生き方しかできない。
何かや誰かに頼れば簡単であるし、物事はうまく進むであろう。
そして、わたしの心もこんなに歪むこともなかったはずである。

2013年1月6日日曜日

追憶 320

あの時、わたしに力があれば自分自身のことをもっと良い方向に導くことができたはずである。
斜に構えて荒れていた心のままで、青春を終えることもなかったであろう。
もっと豊かに、もっと楽しく過ごせたのではないだろうか?
そして、何よりも側にいたYを助けることもできたはずである。
しかしながら、当時のわたしにはそれは到底無理な話であった。
過去を振り返ったところでそれを変えることなど不可能ではあるが、悔しさが尾を引くのは事実である。
できればもう一度やり直したいと思うが、それは無理な話である。
だから、わたしはこれ以上の後悔を残さないために力を必要としたのである。

それから、わたしはY(の母親)に誘われて宗教に入った。
わたしの母親がYの母親に誘われて入ったが、わたしはその付き添いのようなものである。
Yの家族はその宗教の気風が肌に合ったらしく、もう十年以上も熱心に信仰し、今では心の支えになっているようであるが、わたしには全く合わなかった。
わたしには宗教というものや、その信仰が不自然なものに見えたのである。
それでYが幾らか救われたのであれば、それはそれで良いのかもしれないが、わたしは宗教というものが好きではなかった。



2013年1月5日土曜日

追憶 319

残念ながら、当時のわたしには霊が見えなかった。
今になって思うと、霊の存在やそこから受ける何らかの症状を感じていたこともあったであろうが、それが霊に関することには結び付いてはいかなかった。
わたしの中には、霊に関する認識がなかったので、そこに結び付けようがなかったのである。
結び付いたところで、どうすることもできないので結果は同じである。
Yの気持ちを理解することができて、彼に同情したところで何も変わりはしないのである。
当時のわたしは無力であった。
Yがそれを求めていたかは分からないが、わたしは友人一人も助けることができないのである。
友人どころか、自分自身を正しく導くこともできない未熟者であったのだ。
(未熟なのは29歳になった今も変わりはないが…)


2013年1月4日金曜日

追憶 318

Yは明るく振舞っていたが、その心は衰弱しているような印象を受ける。
やはり、ネガティブで、破滅的な言葉を聞き続けるのであれば、精神的なストレスは尋常ではないのであろう。
そういったこともあってか、中学生だったYは家出をして他県の知人の所に転がり込み、何週間も帰ってこないということもあったようである。
Yの心は荒れていた。
それが、霊の仕業であるとは言えない。
原因は常に自分自身にあり、その原因に対する結果として、霊からの破滅的な干渉や精神的な衰弱などの状況が導き出されるのである。
それが、悪いと言っている訳ではない。
苦しみが悪いことだとは思わない。
風邪を治すために身体は熱を出す。
それは苦しいことであるが、その働きこそが体調の回復へと向かわせるのである。
人は何らかの苦しみの中から活路を見出し、より良い自分や場所を見付けて進んでいくのであろう。

2013年1月3日木曜日

追憶 317

高校生なってから、中学生の頃にYが保健室登校だったことを周りから聞いた。
わたしはそれを本人に直接確かめることにするのである。
すると、Yはその経緯を気さくに話して聞かせてくれた。
元々はYの気質や精神的なものが原因となっていただろうが、どこからともなく誰もと知れない声が聞こえてくるそうである。
それも、様々な人の声で24時間聞こえ続けるそうである。
その声はとてもネガティブなもので、Yに対して名前を呼び続けたり「死ね」やら「一緒に来い」などと言い続けるらしかった。
Yの部屋からはいつも大音量で音楽が聞こえてきていたが、それはその声を掻き消すためのものであるということをそこで初めて知ったのである。

2013年1月2日水曜日

追憶 316

小学生だった頃のYもどこか陰を背負っているような感じではあったが、高校生になったYの背負っている陰は、どこか質が変わったような感覚であった。
以前にも増して濃くなった?いや、深くなったような感覚である。
しかしながら、明るい性格には変わりはなかった。
むしろ、明るい性格も以前にも増して明るくなっているようである。
身長が伸びるに従って、地面に映し出される影が伸びるようなものであろうか?
内に潜む陰に飲み込まれないように無理矢理に明るい自分を演じているのではないか?そう思えるくらいにどこか違和感にも似た感覚を得るテンションだった気がする。
しかしながら、当時のわたしはそんなことを考えてはいなかった。
そこまで考えが及ぶほどに自分自身に余裕がある訳でもなかった。
当時のわたしも心の中に陰を抱えており、苦しんでいたのである。
今になって思うと、わたしたちのそういった陰の部分が互いを引き寄せあっていたのかもしれない。

2013年1月1日火曜日

追憶 315

しかしながら、中学生だったわたしは霊を見たいという感覚よりも、その得体のしれない怖さに対しての好奇心が優っていたように思える。
霊自体よりも、恐怖心を求めていたような感覚であったのだろう。
だから、わたしは霊が見たいとは思ってはいなかった。
見るのは怖いと思っていた。
Kの話を聞くだけで、背筋に嫌な寒気がしたものである。
なんだかんだで中学を卒業したわたしたちはそれぞれに違う高校に進んだ。

高校に上がると、中学生の時には絡むことも無かったYと接する機会が増えた。
小学校の頃から知っているために元々仲は良かったが、中学の時はクラスが離れていたせいか、新しい友達との兼ね合いか、接する機会は少なかった。
Yは明るい性格の持ち主で頭が良かったが、運動神経はいまいちな男である。
中性的な容姿で整った顔立ちをしている。
しかしながら、どこか陰を背負っているような感じがしたものである。