崩れた石垣を眺めていると、後から来た家族がわたしに追い付いた。
そこからは、一緒に坂道を登り、四角い石に形だけの参拝をした。
先祖のことは大切に思うが、わたしの中では先祖と墓石が繋がらないのである。
祖父が生前に愛用していたものに面影を見ることはあっても、墓石からは何も思い浮かばないのだ。
それなのに、どういう訳か皆は墓石を祖父のように考えているようである。
どこにも祖父の姿は見えないのに…
物を大切にする気持ちは大切だとは思うが、それぞれを区別する必要があるだろう。
例えば、木製や銅製の像を一心不乱に拝んだところで、悟りを得ることなど出来るはずがないのだ。
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