住職は、寺(宗教)から離れなければ、世界の広さを知ることは出来ない。
寺を離れ、個人として存在しなければ、悟りを得ることは出来ないのである。
寺に所属し、住職という立場を貪(むさぼ)っているのであれば、これ以上の成長を実現することは不可能であろう。
赤子が立ち上がるのは、赤子にとっては難しいことではあるが、人の一生に照らしてみれば簡単なことである。
住職が成長することは、住職にとっては難しいことではあるだろうが、それは、取るに足らないことなのだ。
不正を働かず、思い遣りに根差して生きることは、在家者(ざいけしゃ)でも行うことの出来る簡単なことなのである。
それこそ、赤子が立ち上がるくらいのことなのだ。
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