宗教家は、無知や臆病な人の不安を煽(あお)る。
それは、顧客にするためだ。
現代の宗教において、信者は顧客に過ぎないだろう。
顧客という表現は優しいかも知れない。
なぜなら、一般的な企業は顧客を丁重に扱うからだ。
しかしながら、宗教家は信者を丁重に扱ってはいないだろう。
少なくても地元の寺には、そのような態度は確認することが出来ない。
普通に考えれば、寺を利用する人に駐車場を開放するはずである。
しかしながら、地元の寺では、入口の段差も大きく、元は畑であった舗装もされていない草だらけの空き地に駐車させるのだ。
そして、普通の人ならば気にならないことや、感謝するべきことにも腹を立て、気に食わないことがあれば所構わずに怒鳴り付け、更なる不安で脅(おど)すのである。
地元の寺の住職は特例であると信じたいが、それを許している のはこの寺の本寺(ほんじ)なのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿