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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2018年10月19日金曜日

追憶 2203

宗教の矛盾がそこにある。
もちろん、個人の資質によるだろうが、在家者が出来て、出家者が出来ないというのであれば、宗教などは害悪(がいあく)でしかないだろう。
動機はどうであれ、住職は少なからず仏の道を志(こころざ)した人物である。
仏の道とは、解脱(げだつ)の道であるだろう。
しかしながら、住職は、誰よりも俗物(ぞくぶつ)であるように思えて仕方がない。
残念ながら、今日の宗教の在り方では、人を解脱させることは出来ないだろう。
それは、”詰まらない”規則に縛られているからだ。
しかも、その規則が理(り)に叶ってはいない。
宗教の規則というものは、不自然なことばかりなのである。
念仏を唱(とな)えたからといって、人生を理解することが出来るだろうか?
滝に打たれたからといって、髪を剃ったからといって、袈裟(けさ)を身に付けたからといって、自分を知ることが出来るだろうか?

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