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自身の体験をつづりたいと思います。
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2018年10月11日木曜日

追憶 2195

組織が、末端の人間を完全に管理することなど不可能である。
末端どころか、幹部であっても管理することは出来ないだろう。
そのため、住職の振る舞いを許している本寺にも責任があるだろうが、やはり、住職の個人的な責任が大きいと思うのである。
その組織に所属するすべての人間は、その組織の看板を背負っている。
それは、個人としての名前を失うことが、組織に所属するということだからだ。
ジブリ映画に、少女が温泉宿の主人に名前を奪われるという作品があったが、組織に所属するということは、ある意味では滅私奉公(めっしぼうこう)の契約(けいやく)なのである。
住職は一個人ではあるが、その宗派の一員である。
自分勝手に振る舞いたければ、組織を離れ、個人的に責任を負って行わなければならないだろう。



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