ただし、自分自身を信仰する余り、自分自身を"神"と考えてはならない。
自分自身を"神"とする傲慢(ごうまん)さは、自分自身という偽りの"神"を見ることになるからだ。
自分という未熟者を信仰する訳にはいかないのである。
自分自身を信じながらも、疑うという態度が必要なのである。
矛盾しているように思うかも知れないが、この世界は陰陽が揃(そろ)って自然なのである。
宗教や自分を信じるだけではならない。
宗教や自分を疑うだけでもならないのだ。
信じながら疑うことによって、本当の信仰の在り方が見えて来る。
そこには、争いも泣き言もなく、目の前の現実を受け入れて立ち向かう立派な信仰心が存在するのである。
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