老女は"神"に祈りを捧げることを習慣としている。
聞こえは良いが、それは要求である。
例えば、"神様、助けてください"という要求をする人がいるとして、その人は"神"を信仰してはいない。
"神"に祈りを捧げることを信仰深いと考えている人が多いだろうが、"神"を信じていれば、助けを求めることなどないのである。
目の前の状況は"神"(因果の仕組み)が導いたのである。
もしも、"神"を信仰しているのであれば、目の前の現実に立ち向かうはずなのだ。
"神"を信仰している人は、実践的であるはずだが、"神"を信仰している多くの人は、苦しみに対して嘆(なげ)き悲しみ、停滞しているのが普通である。
"神"に祈りを捧げ、宗教的な儀式や生き方に停滞するよりも、広い世界に自らの可能性を探しに行く方が賢明なのではないかと思うのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿