歪んだ信仰は、歪んだ現実を実現する。
歪んだ現実とは、不自然な状況のことである。
不自然な状況とは、心地の悪い時間ということだ。
多くの人は、心地の悪い時間を過ごしている。
しかしながら、それを信仰しているように思える態度を示す。
例えば、寺に不満を抱えながらも、寺の仕来(しきた)りには従う。
寺の仕来りによって気分を害しているが、それでも仕来りを続けているのである。
わたしには特定の宗教がないので、宗教儀式には関心が無いが、それが心地の悪い時間であるのならば、他の方法を探せば良いと思うのである。
ある程度の辛抱は必要だとは思うが、気分を害してまで辛抱する必要はないと思う。
現代には、何をするにしても、いくらでも別の方法が存在しているが、多くの人はなぜか既存の方法に執着してしまう。
恐らく、仕来りに反することを恐れているのだとは思うが、わたし達の仕事は、より本質的な方法で生きることなのではないかと思うのである。
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