このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2018年3月6日火曜日

追憶 1976

信仰心は、人の心を育み、人生を豊かにするためのものであるだろう。
宗教が提示する妄想の"神"を信奉(しんぽう)して、自らの人生を蔑(ないがし)ろにするためのものではないと思うのである。
わたしが宗教の提示する"神"を妄想だと言うのは、その"神"に会ったことがないからである。
わたしは、実体験しか信じることが出来ない。
しかしながら、わたしが何かを完全に信じることはない。
どこかには、必ず疑いを抱えているのである。
それは、自分自身も他者も、不完全な存在であると思っているからだ。
わたしは、実体験で天使に会ったから、天使の存在を信じている。
しかし、それは、天使の存在の有無の割合が変わったに過ぎない。
わたしは天使の存在を信じているが、それと同時に僅(わず)かではあるが、その存在を疑ってもいる。
宗教においては、盲目的に信じることが美徳とされているように思うが、わたしにはそう思えない。
それは、疑いを抱かなければ、何事の本質も得られないと思うからである。

0 件のコメント:

コメントを投稿