このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2017年1月30日月曜日

追憶 1603

それは、何の変哲もない森の中に”心”を見るためである。
それは、友を探すということだ。
わたしの友は、目に見える形をしてはいない。
それが妄想かどうかは分からないが、思い通りに向き合うことが出来ないので、わたしの妄想からは独立した存在なのではないだろうか?
わたしは瞑想に願望を投影することはしない。
どちらかと言えば、わたしは現実論的な立場にある。
観察しているに過ぎないだろう。
わたしは謎を解明したいのである。
わたしは友を探し出したいとは思っているが、見付けられないのであればそれで良いのである。
結果はわたしの与(あずか)り知るところではないのだ。
わたしはわたしに出来ることをし、与えられる結果を受け入れ、そこから新たに始めるだけである。

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