真相は分からないが、わたしはこの社と子どもが関係しているのではないかという推測を土産(みやげ)に帰ることにした。
わたしは偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)に興味はないが、次に来る時には地産地消カフェで作っているパンでもお土産に持って来ようと考えた。
後日、時間を見付けてわたしはバイクを走らせた。
もちろん、サドルバッグには新作のパンを忍ばせていた。
三度目になると、わたしの中の望郷心(ぼうきょうしん)は薄れていた。
集落を過ぎて橋に到着した。
橋の上で川の流れに耳を傾けながら瞑想を始める。
心が落ち着き、社会性を離れた時に、わたしは静寂を得るのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿