断っておくが、わたしは”神”という存在を期待している訳ではない。
	わたしの願望が山道の子どもを作り出したとは思えないのである。
	きっと、霊的な存在が存在していて、それを見たに過ぎないのではないだろうか?
	もちろん、それは学びのためであり、その学びは自らが作り出した経験であるだろう。
	わたしは霊的な存在がどこにでも存在していることを知っている。
	山でも海でも街中にでも、霊的な存在は至る所に存在しているのである。
	それを知っているわたしが、自分勝手に振る舞うことはない。
	わたしの場合は畏敬の念という形ではないが、友達に対する礼儀のような感覚なのである。
	簡単に言えば、仲良くしたいのだ。
	わたしの中では”神”は友達なのである。
	
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