このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2017年1月31日火曜日

追憶 1604

瞑想を始めた直後、わたしは再び胸が騒ぐのを感じた。
それと同時に鼓動が高まる。
これは、敵意である。
わたしは幼い頃から、他者の敵意を感じ取ることが出来た。
敵意を感じると、わたしの肉体は無意識の内に緊張状態に陥る。
それは、敵意に対する防衛反応だと思われる。
霊的な感覚を認識してからは、自分や他人に向けられた生き霊と対峙する時にそのような反応が起こる。
敵意も生き霊も、同じ人の思いであるのだから、同じ反応が生じて当然である。
その思いが歪んでいる場合には、無意識の内の防衛反応が生じるようであった。
わたしは今、防衛反応を起こしている。
それは、この場所に何等かの敵意が存在していることを意味しているということだろう。

2017年1月30日月曜日

追憶 1603

それは、何の変哲もない森の中に”心”を見るためである。
それは、友を探すということだ。
わたしの友は、目に見える形をしてはいない。
それが妄想かどうかは分からないが、思い通りに向き合うことが出来ないので、わたしの妄想からは独立した存在なのではないだろうか?
わたしは瞑想に願望を投影することはしない。
どちらかと言えば、わたしは現実論的な立場にある。
観察しているに過ぎないだろう。
わたしは謎を解明したいのである。
わたしは友を探し出したいとは思っているが、見付けられないのであればそれで良いのである。
結果はわたしの与(あずか)り知るところではないのだ。
わたしはわたしに出来ることをし、与えられる結果を受け入れ、そこから新たに始めるだけである。

2017年1月29日日曜日

追憶 1602

霊的な視点、別の次元の視点を得るためには、心を切り替えなければならない。
わたし達が普段利用している視点は、大きなものを捕らえる視点であるだろう。
視点を変えることによって見え方は大きく変化する。
例えば、二つの同じ物があって、一方には思い入れがあるとすれば、それぞれに対する価値は変わる。
それは、視点が異なることを意味しているだろう。
思い入れがあると決定している物に対する視点は、より細やかなものになっているのである。
それは、その物に(感覚的には)内在している”心”を捕らえているのである。
それをエネルギーといっても良いし、思い込みだといっても良いだろう。
それがどの時点において生じるのかは分からないが、それを探す人の目の前に存在していることは確かなのではないだろうか?
そこで、わたしは視点を変えるために、再び瞑想を始めた。

2017年1月28日土曜日

追憶 1601

わたしは友を探して山を駆け上がった。
そこには変わらない小さな社と狐の人形があった。
狐の人形の片方が倒れているのは気のせいだろうか?
パンが無くなっているのは、きっと動物か鳥が食べたのであろう。
見た目には穏やかな風景である。
しかし、頭上で枝葉を揺らす風のように、見えない何かがこの場を乱しているのを感じる。
目には映らない別の次元で何かが起こっているのであろう。
そこで起こっている問題を感じ取っているのではないだろうか?
山を駆け上がったせいなのか、鼓動を大きく感じる。
周囲に殆(ほと)んど音が存在しないために、わたしはいつもよりも内向しているのだと思う。
鼓動を五月蝿(うるさ)く感じる。
わたしは鼓動を煩(わずら)わしく思った。
鼓動が届かない場所を知っている。
そこは、内に存在する静寂である。

2017年1月27日金曜日

追憶 1600

まとわりつく生暖かさは、わたしに吐き気を覚えさせた。
それと同時に瞼(まぶた)が開かれ、強制的に瞑想が解けた。
わたしは友の叫びを聞いた。
それは絞り出すような声であった。
急いで向かわなければならない。
わたしは急いでバイクへと戻り、友を目指して走り出した。
桜並木は緑色に衣を変えている。
木漏れ日が美しいはずだが、今のわたしには届かなかった。
集落を抜け、わたしは山道の橋に辿り着いた。

2017年1月26日木曜日

追憶 1599

わたしがここにいる理由は分からなかったが、次第に心が静まるのを理解した。
わたしはざわついた心を静めるためにここにいるのであろう。
それを理解すれば、心を静めることに集中すれば良い。
わたしは瞼(まぶた)を閉じて瞑想を始めた。

暗闇の中に誰かの救援が聞こえる。
か細い声は、風の音に掻き消されそうであった。
暗闇に吹き抜ける風は、不気味な生暖かさを従えていた。
わたしはその風が頬(ほほ)に触れることを嫌った。

2017年1月25日水曜日

追憶 1598

理由など分からない。
しかしながら、人生には、理由など知らずにやらなければならないことが多々ある。
理由を明確にして行動することが有益に働くこともあるだろうが、大抵の場合は出遅れてしまう。
例えば、制限時間の7割を計画に費やすよりは、7割を行動に費やす方が有益な結果を得られるのではないだろうか?
それは、状況がどのように転ぶのか分からないからである。
人生は思いも寄らない展開をするが、わたし達に出来ることといえば、自らの計画を改善することくらいであろう。
制限時間の7割を計画に費やしてしまえば、残りの3割によって思いも寄らない事態に対応しなければならないのである。
その方法が有益であるとは思えないのだ。
人生には考えても分からないことが多過ぎる。
しかし、行動から導き出される目の前のリアクション(状況)がどのようなものなのかは分かるのである。

2017年1月24日火曜日

追憶 1597

わたしは自分がどこへ向かうかを知らずに、バイクを走らせた。
心の赴(おもむ)くままに走っていると、わたしはダムに到着していた。
ダムを少し過ぎた辺りの道路から一段降りたところに休憩所の名残がある。
わたしは何気無くそこへ向かい、腐敗した木の階段を慎重に進み、苔生(こけむ)したベンチに腰を下ろした。
強い風が湖を走る。
周りの木々が大きな音を鳴らして揺れた。
それは、わたしの心を現しているようであった。
山が騒ぐように、わたしの心も騒いでいるのである。
しかしながら、わたしは逸(はや)る気持ちを抑えてベンチに腰を下ろさなければならなかった。
それは、心に従っているからである。

2017年1月23日月曜日

追憶 1596

山道の社で、山道の子どもだと思われる存在とパンを分け合ってから数ヶ月後、わたしは妙な胸騒ぎに襲われていた。
理由は分からないが、心が騒ぎ、落ち着かないのである。
わたしは誰かの声を聞いているように思えたが、それが誰の声なのか、果たしてそれが誰かの声なのかも分からなかった。
わたしはどこかへ向かわなければならなかったが、どこへ向かえば良いのかも分からない。
わたしの中には不思議な葛藤が存在していたのである。
考えても分からないので、思考を手放して心に従うことにした。
心はわたしに”バイクを走らせろ”と告げた。
そこでわたしは理由も分からず、当ても無いままに、とにかくバイクを走らせた。

2017年1月22日日曜日

追憶 1595

海藻もアサリも減少した。
人間の欲望(恐怖)は、自然環境に対して過度な介入を強いている。
人々は自然に対する尊敬(そんけい)を忘れているのだ。
そこに存在する神々や精霊に対する配慮も持ち合わせてはいない。
目に見えないものを蔑(ないがし)ろにするのであれば、可能性は絶たれてしまう。
多くの魚が泳いでいるからといって根刮(ねこそ)ぎにするのであれば、魚がいなくなるのは当たり前のことなのである。
山の頂上まで杉林で覆うのであれば、生態系は崩れてしまう。
崩壊は目に見えない形で進行するが、それを認識する頃には手遅れなのである。
友達であろうとも、過度な介入は問題を引き起こす。
親しき中にも礼儀ありということなのである。

2017年1月21日土曜日

追憶 1594

現代社会においても、人が自然環境を離れて生きることは出来ないであろう。
わたしは、自然の力は偉大だと思う。
自然と共存しようとは思うが、それを凌駕(りょうが)しようとは思わない。
しかしながら、科学の発展と共に、人間は自然を凌駕することが出来ると考え始めたのではないだろうか?
今や(今に始まったことではないが)人間は、天候さえ変えようと試みているのである。
友達の行為に介入し、それを批判するのであれば、友達を失ってしまうであろう。
自然環境に介入し、それを好き勝手に掻き混ぜているために、人間は自然からの豊かさを失う。
簡単な話である。
わたしが幼い頃に比べて、海は明らかに乏しくなった。
魚の水揚げ量と種類は激減した。
それは、人が大型の漁船で大規模な漁を行い、大規模な養殖漁業によって自然環境に介入したからである。

2017年1月20日金曜日

追憶 1593

自然環境を蔑ろにするのであれば、それは自らの人生を蔑ろにすることに等しい。
現代においては、自然環境と直接的な関係を築かなくても生きている人達はいるだろう。
都市部の生活であれば、自然環境を身近に感じることも少ないのではないだろうか?
わたしが東京で生活していた頃は、自然環境を意識して生活することはなかった。
意識するのは天候のことくらいであった。
夏には蝉も鳴くが、愛媛のように五月蝿(うるさ)く感じることもなかった。
それに、蚊の数が明らかに少なかった。
東京の生活では蚊に刺された印象は残っていない。
わたしにとっての東京の自然とは、ゴミを漁る横柄(おうへい)なカラスや、動物園の疲れた動物達である。

2017年1月19日木曜日

追憶 1592

友達に対して、無礼を働く者はいないだろう。
もしも、無礼を働くのであれば、それは友達ではないはずだからである。
自然環境を友達と思えば、自然環境に対して無礼を働くことはないであろう。
山には山の神様がいて、海には海の神様がいる。
自然環境は、彼等の家であり、彼等そのものなのである。
人間は、友達の家に上がり込んで食事や財産を与えてもらっているに過ぎない。
わたし達の食料も、どのような財産(と思っているもの)も自然環境から与えられたものだ。
黄金だろうが、お金(紙)だろうが、家(木)だろうが、車(鉄)だろうが、仕事だろうが、時間だろうが、肉体だろうが、家族や友人であろうが、すべては自然環境から与えられたものなのである。

2017年1月18日水曜日

追憶 1591

断っておくが、わたしは”神”という存在を期待している訳ではない。
わたしの願望が山道の子どもを作り出したとは思えないのである。
きっと、霊的な存在が存在していて、それを見たに過ぎないのではないだろうか?
もちろん、それは学びのためであり、その学びは自らが作り出した経験であるだろう。
わたしは霊的な存在がどこにでも存在していることを知っている。
山でも海でも街中にでも、霊的な存在は至る所に存在しているのである。
それを知っているわたしが、自分勝手に振る舞うことはない。
わたしの場合は畏敬の念という形ではないが、友達に対する礼儀のような感覚なのである。
簡単に言えば、仲良くしたいのだ。
わたしの中では”神”は友達なのである。

2017年1月17日火曜日

追憶 1590

人間が、自然環境と共存するためには、自分勝手に振る舞わないことである。
自然環境に対して自分勝手に振る舞っているために、搾取(さくしゅ)することになってしまうのだ。
共存とは、互いに支え合う状態であるだろうが、現代社会においては、そのバランスが崩れているように感じてしまうのである。
自然環境とのバランスを図るためには、人間が謙虚でなければならないだろう。
そのためには、自然環境を人格化する必要もあるのではないだろうか?
そうでなければ、人間は自然を搾取の対象として考えてしまうであろう。
例えば、”神”という形に人格化することによって、人は他者に対する思いやりに似た礼儀を自然環境に対して覚えることが出来る。
しかし、自然環境を格下の存在だと見下すのであれば、自然環境の破壊は進むであろう。

2017年1月16日月曜日

追憶 1589

現代において、山の頂上までもが杉林として利用されている。
それが悪いとは思わない。
それは、その時代においては、その方法が最善であると先人達が判断したからである。
今でも、山に対する畏敬の念を以て山と向き合っている人達もいるだろう。
もちろん、昔であっても山に対して畏敬の念を持たない人達は大勢いたに違いない。
わたしが言いたいのは、人間の生活と自然環境が共存出来る地点をもう一度考えてみる必要があるということなのである。
これは、わたしの携わっている海にも言えることだ。
いや、寧(むし)ろ、海の方が自然環境との乖離(かいり)は甚(はなは)だしいものであるだろう。
経済活動を弱めようと提案しているのではない。
経済活動の形や、人間の生き方や人生観というものを問い直す必要もあると思うのである。


2017年1月15日日曜日

追憶 1588

山道の奥には、4、5軒の民家が点在してあるだけであった。
しかし、一軒を除いては人の生活を感じることは出来なかった。
蔵付きの廃墟(はいきょ)もあった。
昔は豊かな暮らしがあったのではないだろうか?
しかし、現代においては不便な土地である。
時代の移り変わりと共に過疎化が進み、衰退していくのは当然のことだろう。
しかし、それで良いと思う。
現代の人の生活と山は切り離されていて良いと思うのだ。
昔の人達は、山に対して畏敬(いけい)の念を以て向き合っていたのではないだろうか?
山は特別な領域であり、人が軽々しく足を踏み入れることのできる場所ではなかったと推測する。
民話や伝承に山の神様や化け物の話が多いのは、そのような体験をした人もいただろうし、山を畏怖(いふ)する気持ちが強かったからであろう。
それは、自然環境との共存を実現するためには必要なことである。
山の環境や動植物の生態系を守る(邪魔しない)ことによって山村の生活が成り立っていたのであろう。

2017年1月14日土曜日

追憶 1587

わたしは半分に割いたパンの大きい方を社の前に置き、小さい方をその場で食べた。
それからは特に何も無かった。
ただ、わたしは満たされた気分でバイクに戻った。

わたしにはもう一つの目的があった。
それは、山道の奥を見てみたいというものである。
今回は燃料も沢山ある。
燃料不足で立ち往生するような轍(てつ)を踏むことはないであろう。
今回は、山道の子どもがわたしを阻むこともなかった。
わたしはどこにいるかも分からない山道の子どもに、心の中でお邪魔することを告げて、バイクを山の奥へと走らせた。

2017年1月13日金曜日

追憶 1586

静寂を得た時、わたしは山と繋がるように感じる。
そうすると、山を登ることを許されたような感覚を得るのであった。
わたしはパンを片手に枝を掻き分けて山を登った。
そこには以前と何も変わらないように見える社と狐の人形があった。
社の前に腰を降ろし、山道の子どもに助けられたことと、それについての感謝の気持ちを伝えた。
そして、必要ないかも知れないが、お礼にパンを持参したので受け取って欲しいことも伝えた。
すると、耳元で子どもの含み笑いが聞こえた。
その声を聞いた時、わたしはパンを半分に割いた。
それは、子どもの希望だと知ったからである。
子どもはわたしと一緒に半分に割いたパンを食べたかったのだ。

2017年1月12日木曜日

追憶 1585

真相は分からないが、わたしはこの社と子どもが関係しているのではないかという推測を土産(みやげ)に帰ることにした。
わたしは偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)に興味はないが、次に来る時には地産地消カフェで作っているパンでもお土産に持って来ようと考えた。

後日、時間を見付けてわたしはバイクを走らせた。
もちろん、サドルバッグには新作のパンを忍ばせていた。
三度目になると、わたしの中の望郷心(ぼうきょうしん)は薄れていた。
集落を過ぎて橋に到着した。
橋の上で川の流れに耳を傾けながら瞑想を始める。
心が落ち着き、社会性を離れた時に、わたしは静寂を得るのである。

2017年1月11日水曜日

追憶 1584

以前に誰かがこの場所で何かを信仰していたのであろう。
それは狐か、山の神様であろか?
その社は自然に溶け込んでおり、何の違和感も感じない。
寧(むし)ろ、自然美と人工美が上手く融合しているように思えた。
この社は山道の子どもと関わりがあるのだろうか?
あの子どもは狐だったのか?
山の神様だったのであろうか?
答えは見付からなかった。
見渡しても誰もいなかった。
近くには、畑の名残りである苔生(こけむ)して崩れ掛けた石垣があるだけで、目立つものは何も無い。
何の変哲もないただの森である。

2017年1月10日火曜日

追憶 1583

しばらく瞑想していると、無意識の内に瞼(まぶた)が開いていた。
わたしはそれを不思議に思ったが気にしなかった。
すると、すぐ横の山が気になって目を凝らすと、僅(わず)かに道のようなものが確認出来る。
以前に訪れた時には気が付かなかったが、廃(すた)れた畑への道か、獣道であろう。
わたしはその道を進みたいという衝動に駆られ、木の枝を掻き分けながら登った。
5m程登ると、崩れかけた石垣の上に小さな瓦の社のようなものが置いてある。
その横には陶器で作られた狐の人形が転がっていた。

2017年1月9日月曜日

追憶 1582

山道を抜けると、人々の穏やかな暮らしがあったが、何度見てもわたしは懐かしい気持ちになるのであった。
やはり誰にも会わずに集落を抜けると、子どもに会った橋に辿り着いた。
バイクを停めてヘルメットを脱ぐ。
透き通った空気が肺を満たすのを感じた。
あの日と同じように、杉林の中に奥へと真っ直ぐに続く山道がある。
そこには当たり前のように誰の姿も無かった。
川の流れと、鳥の囀(さえず)りが心地好い。
そこで、わたしはバイクの運転によって無意識の内に緊張していたことを理解した。
緊張を理解すると、それを手放すために瞼(まぶた)を閉じて瞑想することにしたのである。


2017年1月8日日曜日

追憶 1581

山道の子どもがわたしを助けてくれたあの日から、わたしの心からは子どものことが離れなかった。
会いたいという気持ちが日に日に増していくのである。
わたしはあの子どもの正体が知りたいのだ。
毎日のようにあの山道に向かおうとしたが、忙しさが許してはくれなかった。
それでもある日、わたしは時間を得られたのである。
そこであの日と同じようにバイクで山道へ向かった。
桜は散り始めていた。
風が触れると、一斉に花弁(かべん)が舞い落ちる。
春の陽気の中に雪のように舞い落ちる花弁が、わたしを幻想へと誘(いざな)うようであった。


2017年1月7日土曜日

追憶 1580

山道の子どもはわたしとは初対面であっただろう。
少なからず、わたしは初対面であった。
わたしは子どもに助けられたように思う。
子どもの忠告?がなければ、わたしは確実に困っていた。
困ることが悪いとは思わないが、あの場合は困らなかった方が良かったのだろう。
子どもはわたしが困ることを知って助けてくれたのだろうが、わたしに予知能力はない。
そのため、既に困っている人がいれば出来る限り力になることが大切であるだろう。
子どもが見ず知らずのわたしを助けてくれたように、わたしは見ず知らずの誰かを(出来る限り)助けるのである。

2017年1月6日金曜日

追憶 1579

山道の子どもが、未来を予知していたのかは分からないが、結果的にわたしを助けてくれたことには変わりないであろう。
時間の本質は分からないが、子どもがわたしを助けてくれたことは理解することが出来る。
もちろん、子どもにはそのような気持ちは無かったかも知れない。
それが必然だろうと偶然だろうと、結果を見ればどうするべきかを知ることが出来る。
山道の子どもが何者であるかはどうでも良いことなのである。
相手の素性がどのようなものであれ、わたしは助けてくれたことに感謝するべきであろう。
今日の人間社会は、知らない相手の善意を歪めて解釈したり、知らない相手に善意を以て接することを避けている傾向が強いのではないだろうか?

2017年1月5日木曜日

追憶 1578

時間の範囲は分からない。
一瞬先かも知れないし、百年後まで決まっているかも知れない。
時間という概念の始まりから終わりまで決まっている可能性もある。
もちろん、全くの未定である可能性もある。
霊的な存在が時間の本質を理解しているかは分からないが、人間にはそれができないのではないだろうか?
未来を正解に予知する予言者がいるかは分からない。
死期を悟る(もしくは知らされる)人がいると聞くが、真相は分からない。

2017年1月4日水曜日

追憶 1577

光の仕事をしていても、日常を生きていても、そこには不思議な繋がりが溢れているのだ。
人生を不思議だと感じるのは、未来は予(あらかじ)め決まっているが、それを理解することが出来ないために、過去に照らし合わせた時に導き出される奇妙な一致を感じるからであろう。
人生が初めから決まっているという可能性もあるかも知れない。
わたしたち人間は、予め決められたことを体験している可能性もあるだろう。
自我意識が認識を分断することによって、自らの意思によって選択し、人生を創造していると思い込んでいるのかも知れないのだ。
人生がどの段階で形成されているかは分からないが、近い未来を既に創造(予定)していることは間違いないかも知れない。
過去と現在と未来は同時に存在している可能性が高いと考えれば、未来という時間も目の前にあるのだろう。

2017年1月3日火曜日

追憶 1576

わたしには予言はできないが、”今”に在ることによってある程度の未来予測はできるのかも知れない。
わたしが山道で子どもに会った時、具体的なことは分からなかったが、何かの予感はしていたのである。
それは、現在から未来を微かに認識したからではないだろうか?
時折、わたしは未来を知った上で行動しているのではないかと思うことがある。
わたしは毎日のようにユングでいうところのシンクロニシティ(共時性)を実感しているのだ。
すべての出来事には意味のある繋がりが存在している。
わたしの場合は、霊的な存在からもそれを体験する。




2017年1月2日月曜日

追憶 1575

状況確認を怠れば、必ず問題を引き起こす。
障害物や溝に気が付かずに事故を起こしてしまう。
最悪の場合、人を傷付けてしまうかも知れないのである。
状況確認をしていれば、問題の発生を最低限に抑えることができるだろう。
必要なのはただの確認行為である。
人生を過去や未来に分断し、全体の確認を怠れば、車を運転する時に前方だけを見つめて運転するのに等しいであろう。
全体を眺めなければならないのだ。

2017年1月1日日曜日

追憶 1574

過去、現在、未来という時間を同時に認識するということは、目の前のことを受け入れるということなのではないだろうか?
それが”今”に在るという状態であろう。
わたしは山道で子どもの意思を受け入れた。
その時に、わたしは現在にいながら未来を見ていたのだろう。
恐らくは、無意識がそれを最善だと判断したのではないだろうか?
その結果として、わたしはあのような未来(現在)を得たのである。
過去、現在、未来を同時に認識することは、車の運転における後方、左右、前方を認識することに等しいだろう。
車を運転する時には、状況確認が最も大切な作業である。