感情の共有によって、同じ体験をしたとは言い難い。
それは、所詮他人事であるからである。
しかしながら、それに近い苦しみを体験することによって、そこから導き出される感情を理解することはできるだろう。
他人のことを理解するためには、他人と同じ境遇から導き出される気持ちを所有しなければならない。
そうでなければ、どのような言葉も総じて綺麗事であるだろう。
わたしには自分自身と他人の抱えている意識的な問題を解決したいという願望と目的がある。
他人のそれを解決するためには、疑似体験を通じて、その苦しみを肩代わりする必要があるのだと学んだ。
どのような仕事も、他人の問題や苦しみを肩代わりすることによって成り立っている。
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