周囲の大人(教師)がわたしを叱るのは仕方のないことであろう。
(両親は放任的、または、教育的な人物ではなかった)
それが常識であるのならばそうしなければならない。
それに、わたしに対して(深い意味での教育的な観点は持たないにしても)連帯行動の意味を教えていたのだろう。
それは、人が互いに協力して生きる為の知恵である。
しかしながら、幼い頃のわたしにはそれを理解することができなかった。(それは、二十歳を超える頃まで続く)
深い意味を理解することのできないわたしは、ただ叱られることだけをピックアップして理解した。
そのため、何のために叱られているのか理解することができずに、叱られているという恐怖が幼い心の中に根を下ろしてしまったのである。
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