遊び半分で意識的な存在と、その問題に向き合うことはできない。
そんなことをすれば、すぐさまこちらの精神が危険にさらされてしまうであろう。
わたしは何をするにしても、そこには確固とした動機(信念)が必要なのではないかと思った。
褒美をもらおうなどという感覚であっては、信念が汚れ、気が緩み、方向性を失って、きっと怪我をしてしまうだろう。
それはどの道でも同じことなのではないだろうか。
何に対しても真剣に取り組むことが大切なのである。
わたしは今回の仕事によって、Mさんの心の中に存在していた破滅的な意識の一部を取り除くことができた。
しかしながら、それは文字通り一部でしかなく、Mさんの心の中にはその他にも様々な破滅的な意識が存在しているだろう。
人の心は広くて深い。
そこにはこれまでの人生で生み出した思考や感情が蓄積している。
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