かつて、わたしも傲慢(ごうまん)に支配され、怒りに溺(おぼ)れた。
それは、底なしの沼のように、もがく程に沈んでいくようなものである。
怒りに溺れることは、苦しいことである。
しかしながら、そこから抜け出すことは出来ない。
それが苦しいことだと、どこかでは分かっていながら、その強大な力に飲み込まれてしまうのだ。
怒りには、中毒性があるのではないかと思える。
それは、砂糖やお酒、マラソンや筋肉トレーニング、整形手術や買い物、そして、ギャンブルや麻薬などのように、度を過ぎてもやめられないものなのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿