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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2019年7月19日金曜日

追憶 2476

それは、慣(な)れであるのかも知れない。
肉体の痛みは変わらないが、心の痛みは随分(ずいぶん)と変わって来ていた。
腰痛に対する怒りや恨(うら)み、そして、悲しみや絶望感が失われ、どうでも良いと思うようになった。
それは、諦(あきら)めであったようにも思える。
そして、どうでも良いと思っていると、わたしは肉体と痛みを俯瞰(ふかん)していることに気が付いた。
そこでわたしは、自分という存在が肉体でも無ければ、痛みでも無いということを学んだのである。

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