幸せではないから、幸せを求める。
救われていないから、救いを求めるのだ。
人は、無いものを欲するのである。
”神”の救いが訪れない人は、神頼みを続ける。
”神”の救いが訪れない人などいないのだが、それを理解することの出来ない人は多いのだ。
”神”の救いが訪れているのを理解している人は、神頼みは行わない。
その必要が無いのである。
わたしは、神頼みを行わない。
それは、”神”の救いは常にわたしと共にあるからである。
それを理解しているわたしは、神頼みをする必要が無いのだ。
”神”に頼る必要が無いわたしは、自力と他力を使って目の前の問題に向き合うのである。
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