それは、”神”に縋(すが)ることではないだろう。
泣き言を吐いて、”神”の救いを待つことでもない。
自分の足で立ち、他者に協力し、他者からの協力を受けて、自分の足で歩かなければならないのである。
例え、世界の終末が訪れたとしても、自分の身は自分で守らなければならない。
誰もあなたを守ってはくれないのである。
残念ながら、”神”が理由もなく人の願望を叶えることはないだろう。
助けを求めて助けてくれることなどないのだ。
普段から、誰かや何かを助けているからこそ、助けられるのである。
種を蒔(ま)かなければ、収穫は無いのである。
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