そのため、一神教の教えでは、どうしても悪となる敵が存在することになってしまうのである。
それは、信者の幸福を考えた結果の教えではなく、宗教体系を維持するための恐れであるように思えて仕方がないのだ。
そして、その宗教を必要とした歴史や時代背景のことも考えてみなければならないだろう。
その宗教が生まれた時には、その教えが必要不可欠なものであったかも知れないが、今日にその教えが必要であるとは限らないのである。
彼女達は、一神教の教えを信じていたが、わたしの質問に対して、自らの信仰の中に矛盾を見出してしまった。
それは、彼女達の信心が足りなかったからではない。
理由は、もっと深いところにあるのではないだろうか?
理由は、もっと深いところにあるのではないだろうか?
わたしは誰が何を信じても良いと思うが、人は自分自身を偽るべきではないと思うのである。
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