このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2018年7月27日金曜日

2119

”神”の救いを待っていれば、その間に多くのものを失ってしまうのである。
溺れている者は、藁(わら)でも掴まなければならない。
ただ、溺れているだけであれば、溺れ死んでしまうのである。
それを本望(ほんもう)とするのであれば良いが、多くの人はそのようには思わないだろう。
多くの人は、人生を続けたいと思うからである。
それは、魂が、人生において様々なことを学び、成長することを望んでいるからだ。
長生きすることや、財産を貯えることや、大切な人と過ごすことや、世界を平和にすることなどは、本来の目的ではない。
それ等のことは、後から掲げた志(こころざし)なのである。
人は、魂を成長させるために人生を経験している。
成長したいと思うから、生きたいのである。
生きるためには、生きるための選択を行わなければならないのだ。



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