この時、わたしは「他人は自らを映す鏡」というどこかで聞いた言葉を思い出していた。
	そして、わたしは自分自身が悪魔に対して心を開いているのだろうか?と考えた。
	わたしが悪魔に対して心を開いていないのに、悪魔にだけ心を開けというのは身勝手な行為だと思い至ったのである。
	わたしは間違ったのだろう。
	間違ったので、思うような結果を得ることができていなかったのだ。
	人生は自分自身で築くものだと思っているが、それは対人においても同じことである。
	相手に対する配慮が無ければ、相手が自分に対して配慮することなどない。
	心理とはそういうものだろう。
	悪魔であっても、人格を持った存在であることは、天使や霊と向き合う経験から理解することができる。
	わたしは悪魔を壱人格として丁重に扱わなければならないのである。
	わたしは差別的な意味での考えは待ち合わせていなかったが、恐怖という感情は、相手に対する配慮であるとは考えにくいのである。
	
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