気分は最高に優れていた。
しかしながら、体力は著しく消耗しているようであった。
わたしは母親の心の中で体験したことを説明する余裕もなく、意識を失っていた。
わたしは眠ってしまったようである。
悩みが解決する時、人は心が軽くなる。
それは、悩みという破滅的な意識が重たいからである。
目には映らないからといって、意識が質量を持たないと決め付けてはならないだろう。
意識に数値としての重量はないかもしれないが、人はそこに重さを感じてしまう。
「気が重たい」や「気分が沈む」などという言葉に対して、あなたは何の疑問も持たずに共感し、納得することができるだろう。
頭では認めることができなくても、心では分かっているのである。
霊を信じない人は、どうやって自らの心を証明するのであろう?
思考や感情、意識をどのように理解するのだろうか?
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