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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2013年8月22日木曜日

追憶 348

瞑想によって自らの心に対峙し、母親の心に触れることによって他人の心に対峙した。
その中で少しずつではあるが、人の心というものを何と無く理解するようになってきた。

人の心というものは、その人の方針である。
人は自分自身の心の声を聞いている。
多くの人はそのことを認識してはいない。
それはとても自然であり、昔からやってきた習慣だからであろう。
心の声が楽しいものであるのならば、その人は楽しいことを探し、楽しいことを思い、楽しいことを話し、楽しいことを行う。
心の声が苦しいものであるのならば、その人は楽しいこととは逆のことをする。
人は気分によって変わるということである。
自分自身も母親も、心の声である気分によって行動を決めているのではないかと思えるのである。

心は、感情の溜り場である。
人は経験の中で様々な感情を生み出している。
その感情がその経験をどのようなものにするのかを決めているのだが、どのような感情も心の中に蓄積されている。

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