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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2013年8月2日金曜日

追憶 528

例えば、人生が初めから決まっているのならば努力なんて必要ない。
思考や感情や判断などの自我など必要ないであろう。
しかしながら、わたしたち人間は誰もが自我に目覚め、それに従って人生を築いている。
わたしはこの短い20年間の人生において、人の努力が成果に繋がることを嫌程思い知らされた。
わたしが努力しなかったのは、人生が初めからそのように決められていたからであろうか?
そんな馬鹿げたことはない。
それならば、努力して成果を得た人は報われないではないか。
努力したのも、怠けたのも、本人が自分自身の意思によってそう決めたのである。
わたしは努力することもできた。
実際、周りの大人たちはわたしに対して、子供ながらにうんざりするほど努力を促していた。
それは、明らかな選択肢であったのだ。
それを選ばなかったのは自分自身に他ならないのである。
自分の良いと思う方を自分自身で選んだのである。
わたしは努力しない方を良いと思い、それを自分自身で選んだ。
それは、誰かに仕組まれた訳ではない。
「神様」は何十億という人の中の、わたしという一匹の甘ったれた子羊にかまっているほど暇ではないだろう。


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