「目を閉じて願いなさい…」
わたしにはそう聞こえた。
大天使ミカエルの声は心の中に微かではあるが、鮮明に聞こえてくる。
例えるなら、音声はまるで電波式のラジオを大きなボリュームで聞いているようなものである。
雑音が入るし、不安定である。
意識的な存在からのメッセージは、インターネットラジオを小さなボリュームで聞いているのに似ている。
小さく気付きにくいが、それは雑音もなく鮮明なのである。
「五感で捉えるのではなく、心で捉えるのだ…」
わたしはその言葉に従って、五感を手放すように心掛けた。
それは、自我を捨てるような感覚であろうか?
自らの身体の力である五感に頼るのではなく、自我を超えたもっと大きな力に身を預けるような感覚である。
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