わたしは楽しかった。
わたしは霊的な世界を体験することが好きなのだ。
外から見ると、わたしの表情や叫び声やゲップなどの行為が苦しいように映るようであるが、わたしの行為はわたしの苦しみなのではない。
それは、わたしを通じて霊の苦しみが表現されているだけなのである。
わたしは体力や気力を消耗するが、それよりも楽しみの方が勝っている。
光の仕事は、決して苦しいものではないのである。
老女はわたしに対して、文字通りの老婆心を向けていたのである。
気遣いは有難いが、心配は不要だ。
それは、わたしが楽しんでいるからである。
わたしは、老女に対して、この状況を楽しんでいることを伝えた。
0 件のコメント:
コメントを投稿