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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2018年4月13日金曜日

追憶 2014

光の十字架は、自らの放つ光によって、黒い霧の中の顔を"殺している"のである。
多くの人は死という状態を恐れるが、死を恐れる必要はない。
何故なら、死とは終わりであり、終わりとは始まりだからである。
黒い霧の中の顔には、この状態は相応しくないのである。
彼等は現状を終わらせ、次の状態を始めなければならないのだ。
それは、老女にも同じことが求められている。
新たな状態を始めなければならないのは、既に学び終えたからに違いない。
ある程度の学びを得れば、人は次の学びを必要とするのである。
黒い霧の中の顔は、必要なだけ苦しんだのであろう。
老女も、同じように必要なだけ苦しんだに違いない。
苦しみを経験することによって成長し、既に現状には相応しくない自分になっているということであるだろう。
しかしながら、わたしは、苦しいことが良いと言っているのではない。
苦しいことが良いのであれば、苦行僧や戦争や飢えを経験した世代の人達は優秀であるはずである。



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