これ以上、わたしがここにいる理由はない。
	霊的な存在は、人間のように不毛な議論には力を使わない。
	非常に合理的な存在なのである。
	それは、人間のように役割を迷ってはいないからだろう。
	霊的な存在は、自分がどう在るべきなのかを知っているのではないだろうか?
	自分がどう在るべきなのかを知らない人にとっては、それを冷徹に感じるかも知れない。
	人間的な感覚とは、ある意味ではプログラムのバグのようなものだと言えるかも知れない。
		
		
		
		
		
	
役割がなければ、理由もない。
		踵(きびす)を返すと、倒れている狐の人形が気になり立たせておいた。
		枝を振り解きながら進むと、背後で山道の子どもが楽しそうに駆けた。
		わたしはそれを山道の子どもからのお礼と受け取った。
		「じゃあね」
		わたしは背後に向けて言葉を放り、山を降りた。
		
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