蓄積されたエネルギーを受けることは簡単なことではない。
それは、誰にとっても苦しいことであろう。
しかし、人を育てるためには欠かせないことであるのも事実である。
今回の否定に対しても、Rからは何かしらの抵抗があることが予想された。
わたしの言葉を受けたRは、自らを正当化してどうにか望遠鏡を覗こうと工夫したが、それは感情的な方法ではなく、冷静に望遠鏡を覗きたい理由を説明しているようであった。
わたしは嬉しく思った。
成長を感じられるからである。
100円を渡そうかと考えた。
しかし、わたしはその”甘い”思考を否定した。
ここで主張を曲げれば、何の説得力も無くなってしまうのである。
目的には一貫性がなければならない。
子どもは大人の真意を必要としているのである。
それが揺らぐのであれば、子どもはどう学べば良いのか判断することができないのである。
教師となるのか?
反面教師となるのか?
その判断が曖昧(あいまい)となってはならないのだ。
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