それが両親からの教育である。
父親であるYは、仕事が休みの日にはパチンコを楽しんでいるようであった。
家にいる時には、もっぱら携帯電話でゲームを楽しんでいるようである。
課金というシステムによってゲーム内でのアイテムを買っているような熱の入れようであるという。
子ども達の相手はHに任せ、ゲームを楽しんでいるのが日常であるということであった。
驚いたことに、Rの妹のMが2歳になっても、ご飯を食べさせたことが無いというのである。
そのような教育の結果、Rの口をついて出る言葉は「ゲームがしたい」「インターネットの動画を見せて」というものばかりになってしまった。
ゲームを楽しむのも、インターネットで動画を楽しむのも良いとは思う。
しかし、目の前のリアリティを蔑(ないがし)ろにしてまで楽しむ価値があるとは思えない。
今では、車で走行している時にもゲームをしたがるほどになっている。
景色を眺め、人々の生活の違いを感じることの方が重要であると思うのである。
ゲームの思い出も良いが、時代の思い出が無いのは悲しいと思うのである。
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